まず車を一号線沿いのコインパーキングに停めて~。

駐車場を北へ通り抜けたらー

「カラスのえさやり禁止します。」という貼り紙が。

あまり見ないタグイの貼り紙だったのでちょっと「めずらしい?」なんて思いましたが いや 地区の皆さんはお困りなんですよね、面白がっちゃいけない、失礼しました。
JRの線路(東海道線他~)の下を潜って北へ上がりましょう。

因みにこのトンネル(?)の名称は「天神暗渠」だそうです。(天神は 菅原神社の事 でしょうね?)


暗渠を潜り抜けた先には もういっちょ御殿場線の架橋がありー

更にその向こうに単線の踏切がー。

(↑踏切名は「地蔵前踏切」、だそう。近くにお地蔵さんがいらしたのかしらー・・・)
これはー 昔の御殿場線の名残、ですかねー?

(↑上り/国府津駅方向。右に見えるのは変電所。)
(↓下り/下曽我駅方向。)

(↑尚、この単線は 少し先で左手の(架橋になってる)御殿場線に合流します。)
↓さて踏切の正面はー

花と緑に囲まれてて 「癒し~」の感じられる道でした。 (尚 奥は墓地のようでした)

(↓アジサイ アカンサス)

(↓オシロイバナ)

(↑昼過ぎなので つぼんでいます。)
↓東側には光明寺という時宗のお寺への参道がありましたがー

ここも又「素敵ー」でした。


目指す神社の方へ向かいましょう。

(↑通ってきた踏切)
緩い坂を下って行きます_。

十字路の手前に 鳥居が現れました。

ここが「菅原神社」ですね。

(余談ながらー 境内には車を停めても「いい っぽい・・・」でした。奥の鳥居手前に「これより奥 駐車禁止」というプレートが並んでいましたので。/ ここまで歩いたからこそ見られた景色もあったので 私達的には「歩いて来てよかったね」でしたが 情報としては「駐車可」というのもお知らせしたく、ここにメモります。)
社号標。

由緒書。

↑「二、」の「神社縁起」が興味深い。 / これによると_ 正暦5年(994年)六月晦日の黄昏時に 「奇なる木船が汀(ナギサ)に漂い来りて束帯せる一貴人が錦の袖にて招き給う。里人は之を招じて麦飯に麦粉をかけて饗す・・・其の夜里人の夢枕に貴人現れて告げて曰く、
『京の菅神を崇敬せば幸多からん』と・・・。 目覚むれば貴人の姿はなく官公の肖像一躯(現存の神像)残れり よって之を御神体として神社を創建せり。」 だそう。
天神さんというより キノミヤ信仰 に近い感じ、ですね?
尚 ここは昔「諏訪の森」と称し西暦750年頃にはすでにタケミナカタ(←大国主の息子)を祀る「諏訪社」があったそうですが、 今も同じ境内に社があるそうです。(後で行ってみます。)
境内右手に 地図や説明板が並んでいました。

(↓「国府津丘陵散策コース」)

(↓右/ 新聞の切り抜きで示された国府津の歴史。/ 駅弁として国府津駅で握り飯が売られた、 とか 小田原馬車鉄道で国府津~湯本が90分、 とか。 )

(↑左は かつての神社の様子の写る写真。)

↑菅原神社についての説明。/ 「国府津の天神さんで知られる菅原神社は、正暦5年(994)に創建されたと伝えられています。祭神は、菅原道真公(845~903)、天照大神ほか七神が合祀されています。/境内の「曽我の隠れ石」と呼ばれる大きな石には、「曽我兄弟が父の仇である工藤祐経を討つためにこの石に隠れていたが、敬語が厳しく涙を呑んでそのまま見送った」という伝承が残っています。/ 水神の傍らにそびえる御神木のムクノキは、江戸時代の記録にも見える老木で、小田原市天然記念物に指定されています。/ その他境内には、道真公が詠んだ「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春なわすれそ」と記した石碑をはじめ、様々な石造物があります。又、「撫で牛」は道真の神使とされており、病気治癒に効くとされています。更に、「とおりゃんせ」発祥の地の石碑も建立されています。/ 一月に初天神、 四月に例大祭、 十二月に納め天神が行われるとともに、学業成就や試験合格を願う人々など多くの参拝者で賑わいます。」
! 思いのほかに 見どころ一杯、ですね。
ゆるゆる見て参りましょう_。
↓まず「曽我兄弟 隠石(カクレイシ)」。

(↑Wikiによると揮毫は高田早苗、とのこと。高田さんは国府津駅の近く(前川)に別荘をお持ちだったそうなので 近所のヨシミ的に揮毫をお引き受けになったのでしょうかしら?)
その隣には 乃木希典の揮毫になる という「忠魂碑」。

そして市の天然記念物に指定されている ムクノキ。


↑根方には水神さんの祠。
↓「こちふかばー」の歌碑と 手水舎。


↑天神さんのシンボル 梅 が記された手水鉢。/コロナのせいですかね 上には竹の蓋がー。
その他こんな碑も。

(↑左、「わらべうた 通りゃんせ 発祥の地」+ 歌詞)
社殿の方へ向かいます。

左手に「撫で牛」。

天神さんに撫で牛は つきもの ですが、こんなポーズの牛さんを見るのは初めてー。

(↑籠に前脚を載せてる・・・んですかね?)
鳥居を潜り 拝殿前へ。


↑左手の狛犬。
↓右手の狛犬。

ご挨拶。

正面の扉_ 元は丹塗りだった、ようですね?

時に_
菅原神社は明治35年に火災で社殿を失ったそうで 今建つのは明治42年に再建された建屋 _なのだとか。
社手前に狛牛(?)さん達。


社殿の西に 立派な屋根が見えたので (天神さんより古くから祀られている という)「諏訪社かしら?」と行ってみました。

(↓近くにあった 絵馬の石版? な奉納物。 右が牛に乗る天神さんで 左は奉納者、かしら?)

(↑石には「当村 石原新太郎 / 明治四十四年一月納之」と彫られています。)
しかし 「立派な屋根」は 蔵の物でした^^;)

(↑唐破風付きの蔵って 珍しいですよねー?)
が、 訪ねようと思っていた諏訪社も そのすぐ横に見つけられました。


説明板。

↑「祭神 建御名方神(タケミナカタノカミ) / 水を司る神様であり 又 土木建築に関る神様として 崇められています」
祠の前には とぐろを巻く石の蛇 が置かれていました。

「昔から諏訪神社の神体は蛇で、神使も同じく蛇であるといわれている。(Wikiより)」そうです。これは ・・・眷属かな?
蛇さんの隣には 龍も。


脇には「御神水 / この水は飲めます」という立札もありましたがー 残念 水は止まっていましたー。
菅原神社の神殿部の後ろを回らせて頂きます。



境内の北東の隅にー、ちょっと不思議な石柱が。

「奉納」の下に「譲」「?」「誠」の文字。 横には一体の狐さん(多分)。/ 何だろうなー?
道なりに(???)行きます。


絵馬掛けがありました。


↑道真公が描かれた絵馬。(やはり 合格祈願が多かったですねー)
山側に稲荷社。


これで一回り した事に。

ありがとうございました。

おしまい。