
天智天皇の御代、加賀国(カガノクニ/石川県南部)からこの地(土肥郷/ドイノゴウ)に開拓者として入った人達によって建てられた という古い神社です。 今もエリアの中心的社で、神官の常駐しない 五郎神社や 産土八幡神社 万葉公園内の神社などのお祭りでも ここ五所神社の神官さんが祝詞をお上げになる、と聞きます。

↑駐車場の隅にあった境内MAP。/ 七福神めぐりもできるようですね?(後で回ってみましょう)
まずは 参道の方へ。

鳥居の先に手水舎が見えました。


あれ?水が出てない・・・

_と思いましたが センサー式でしたー。

(手を龍の口の前に出すと 水が出ます~)
近くにあった由緒書。


(↑天皇家の祖神が御祭神なんですねー / 尚、神社のHP https://goshojinjya.com/
に「天照大神以下五柱の神霊が鎮座されたと伝えられている。」とあります。これが社号の由来のようですね? でその五柱とは? HP「由緒」の頁の神名表の順とすると 天照大神、 天忍穂耳尊、 瓊瓊杵尊、 彦火々出見尊、 鸕鷥草葺不合尊 になるのかな?)
参道脇に 大きな楠。


「御神木の楠」ですって。

さてでは お社の方へ。



拝殿前 まできました。

県指定有形文化財となっている社殿。
社殿を守る狛犬達。


↓千鳥破風の上の鬼板に「三つ巴」の神紋。

鈴の奥の賽銭箱にも「三つ巴」。

入口上に社号。

絵馬掛け。

(↑絵柄は 干支 と 御神木の楠)
拝殿脇の蔵。

鳳凰の破風飾りが すてき。

東に少し行ったところに小社。

末社の「山神社」。御祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)、との事。

その隣に大国天さんの石像。


(↑打ち出の小槌を鼓のように肩に~)
ではここからは「七福神めぐり」をする事にいたしましょうか。
_と その前に、
ヒオウギスイセンの写真を貼ります。(撮った順に絵を貼ってるだけなんですけどネ)

社殿の建つ曲輪(何と呼ぶべきですかねー)から 車道に出た所に ヒオウギスイセンが沢山咲いてたんですよー。




(ヒオウギスイセンか ヒメヒオウギスイセンか・・・迷ったんですが 花季的に 多分ヒオウギスイセンじゃないかなあ~ と思います。)
では 改めて_
七福神めぐり、をして参りましょう。
一つ階段を下りまして~・・・

東側に_

恵比寿神。

もう一段下りて_

駐車場に~

毘沙門天。

一旦境内を出て、車道を渡ります。

そこにいらっしゃったのは 布袋尊。

尚、今は道路で分かたれていますが、ここも社地だそう。

↓布袋さんの南には「史跡 明神の楠」。

↓説明板。

_五所神社は 古くは「五所大明神神社」「五所大明神」と呼ばれていたんですねー。(なるほど、それで「明神の楠」)
そして 「昔の神社の境内は広大幽邃で 参拝者は前方の千歳川の清流で禊を行い、この「明神の楠」の下を経て神社に参拝しておりました。~中略~ その頃の参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、世の移り変わりと共に、今はこの一樹のみが歴史の跡を物語っております。」 / 又 「樹齢 約八五〇年」ですって!
明神の楠 を一回りします。


(↑↓おや、向こう側が見える箇所が~。幹に空洞部分があるんですね?)

↓洞(ウロ)に何か祀られています・・・。


↓邪鬼を踏む六臂の像_青面金剛像(庚申さん)でしょうか。

もう一度道路を渡り、他の七福神さんを探します。




本殿から見て 西の境内地へ入ります。
正面に忠魂碑。


西に向くと 弁財天が見えました。


その近くにあった小社。

「湯河原頌徳(ショウトク)社」だそう。

(↑祠の横には「頌徳碑」)
(↓説明板)

引き返し、 「あと二体」の七福神像を探します。

(↓道の向こうに 布袋さんと 明神の楠を見る。改めて楠の木を「大きいなー」と感じました。)

又鳥居を潜りますー・・・。

一段上に 福禄寿。


そのすぐ下に 寿老人。

めでたく コンプリート、 なりました^^)
最後に_
福禄寿さんの近くにあった大銀杏の絵も貼りましょう。



↑推定樹齢 「八百年」ですって。
楠も、銀杏も、 これからも「元気で長生き」してほしいですね^^)
こうしてこの日私達は 又ちょっと 湯河原に詳しくなれちゃったのでした。/ おしまい。