岩村の太鼓櫓(岩村歴史資料館) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

チェックアウト後、まず向かったのは 宿の向かいの藩主邸跡です。

(↑左の門は 「岩村城 平重門」。/ 平成2年(1990年)に復元されたもの、だそう。)

敷地に入ると、右手に 郷土の偉人 佐藤一斎のブロンズ座像。

左、城山側には案内板。

(↓あー お城へ上がる前に この図を見たかったねー」、でした。)

(↑という訳で 登城した折の話を綴った頁に この図、貼りました、のです。)


門の横に楷の木。



その隣に 長屋門風の建屋がありました。

これはー?

↑藩校、知新館の門、だそう。/ 文中にありますが門の向かって左側には「釈奠 (セキテン)の間(=孔子廟)」があり、教授はここに置かれた孔子像に礼拝してから授業に向かった~ のですって。/へー。 (尚、藩校があったのはここではなく、現在特別支援学校が建つ付近 だそう。)

知新館の門を過ぎると 太鼓櫓が現れました。





さてここには 明治になるまで「藩主邸」が建っていたそうですが、

現在は岩村歴史資料館となっていました。(館内は撮影禁止でしたので 絵はここまで。)
元々城主の居館は 城山の岩村城 本丸曲輪にあったといいます。が1601年頃岩村に入った松平家乗(イエノリ)が麓に居館を移し 以降の藩主もここに居住した、ようです。
 明治2年(1869)、版籍奉還によって岩村藩は「岩村県」に、藩主だった松平乗命(ノリトシ)は知事になります。県庁もここに置かれました。その後 藩知事への「東京帰京命令」が出され 乗命も東京へ移住しー・・・空き家となった藩主邸は明治14年に「失火により全焼」した といいます。

改めての 太鼓櫓。

横の「表御門」から外へ出ます。



石段を下りたところに「太鼓櫓のいわれ」が書かれた板がありました。

(抄/ 慶長6年(1601)城主松平家乗は 城山の麓に藩主邸を造営した。以後ここは政治の中心としての機能を果たす一方、”太鼓櫓”を設け城下に時を知らせ続けたものである。)
尚、太鼓櫓 表御門も、平重門と同じく 平成2年(1990)に復元されたもの、のようです。



↑下から仰ぎ見た「しゅっとしてる」太鼓櫓。(袴腰のエッジのきいた曲線と 屋根のぎざぎざ+ぽつぽつした装飾的な感じ(←すみません どう表現してよいかわからず)、お洒落~)

前日(素通りした時・・・)の夕刻の絵、も オマケで貼ります。









桜の季節に訪ねられてよかったなあー。


この後は 前日も歩いた城下町をもう一度通って岩村駅に出、 明智の大正村を目指しました。 / つづく




<おまけ>
ここまでに貼り損ねた絵を貼ります。

岩村駅近くの「駅前橋」の親柱には お獅子がついてました。



↑後ろ足役さんの草鞋までしっかり見せてて 細かさがナカナカでした。

ショウウィンドウに飾られていたブチの猫、 リアルな寝姿がかわいかった^^)



「下町升形(シモマチマスガタ)」の南_(ちょっとしか歩かなかった) 柳町に いいかんじ のタイル張りの、 タバコ屋さんのショウウィンドウがありました。




岩村郵便局前に灰色のポストがありました。




↑明治20年頃に使用されていたタイプの復刻版のようですね?

プーさんの「飛び出し坊や」がいました。


クラシック・プーではなくディズニーのプーさんですが こっちも今年著作権切れてるから「無問題(モーマンタイ)」。 しかし 普通飛び出し坊やは 道に向かって飛び出す~ ように設置されるものですが これは・・・?(「ただいまー」とか言ってそう^^;)

外壁にタイルが使われたお宅の 赤い屋根に ツバメが「ちん」とまっていました。(ちょっと 色がマッチしてるな、と思いました^^)


間もなく巣作りの季節・・・。

_ おしまい。