石橋山古戦場・文三堂(ブンゾウドウ)あたり | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

佐奈田霊社から表参道を南側へ下りた処、から続きを綴ります。

佐奈田霊社に祀られた魁秀明神(=佐奈田与一義忠)の郎党、主と共に討死した陶山文三家康(安の字を書く事も 1124-1180 享年57)を祀る文三堂へ行ってみましょう。



↓与一討死の地、を知らせる柱。/ この辺りの地元の呼称「ねじり畑」は与一らの無念でおこる(?)、植えられた作物がねじれる怪現象から、らしいです。

↓あら、大きな石。

↓上の部分に刻印(←奉納者が誰かわかるようにするためのマーク)のような物がありますね。下にセリ矢の穴のようなものもついてるしー割ってどこかへ運ばれる予定だった のかな?


(↑ちょっと ぬりかべ似^^;)
さて その先の三叉路は~ 左、へ。

↓道の一段低くなった処に ぱ っと見「側溝」のようなものが見えます。

が。底は石が敷かれており、石畳のよう。階段もついている。つまりこれは 側溝では・・・ ない?

わからぬ仕舞ですが この後 石橋の集落へ下りる道を歩いたら そちらにもものすごく立派な石畳の道(ほぼ「マチュピチュ?」な) がついてましたからー もしかしたら昔(車もモノレールもなかった時代)のみかんの運搬には このクラスのちゃんとした石畳の道 が必要だった、のかもー? 


あ、文三堂への上り口が見えてきた。



石段の脇には江戸の年号が彫られた素朴な石仏(馬頭観音かな?)が。



上がり切ったところに 小さなお堂。



奥に墓石と思われる石が見えました。

脇には梵字の書かれた卒塔婆、又 壁には「陶山文三公」と書かれた絵も。
R.I.P.

おいとまいたします。



文三堂を出た後は、佐奈田霊社の表参道まで戻りー

霊社への石段は上がらないで そのまま海側へ歩きました。

東海道本線の向こうに 相模の海。

赤い屋根はふくや旅館。

北を見れば 佐奈田トンネル(写っているのは「出口」側)_

_これで ひとまわり、した事に。

では ちょっとの間 車はこのままここへ置かせて頂いて~

山の北側にある 「子之(ネノ)神社」を訪ねてみましょう。


つづく