佐奈田(サナダ)霊社 | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

『鎌倉殿の~』の影響でしょうか?亭主が 「佐奈田霊社ってとこに行ってみよう」と言うのでー
(因みに 私は以前 行っているのでございますがー)

ー-- 行って参りました。

↓石橋から国道135号線の旧道に入ったところ。

↑正面の「ふくや旅館」前を~右手、へ。↓


散策者用のMAPがありました。


↓道なりに進むと_JRの佐奈田トンネル 南側(出口)の上を回って霊社に向かう道に出ます。

↓トンネル上の道脇に「石橋山古戦場」と刻まれた石。

↓その先の坂を上ると・・・


↓右手に駐車場があります。

ここに車を置かせてもらって~

改めて(徒歩で)霊社 古戦場巡りに出発です。

霊社は駐車場の すぐ上。



↑社号標。(社号~といってもこちらは石橋地区にある「石王山宝寿寺」の住職が守られてるので一応の区分としてはお寺になるそうです。昔ながらの 神仏習合の施設なんですね?)
↓その横の説明版。

「この附近は、源頼朝が治承4年(1180)以仁王(モチヒトオウ)の遺命を受けて平家追討の挙兵をした処である。このとき、相模の名族三浦党の岡崎四郎義実(ヨシザネ=悪四郎)や、その子真田(佐奈田)与一義忠(1155-1180 享年25)も参陣した。しかし、急の挙兵のため、頼朝軍は僅か300であり、攻撃の平家軍は大庭景近以下3000であったため頼朝軍は忽ち苦戦となった。この時真田与一は、15騎で豪雄俣野五郎の75騎と戦い、両将組討ちとなったが 与一が勝ったか股野は組み敷かれ、与一はこれを討とうとしたが刃に付いた血が固まり短刀がさやから抜けず 手間取ったうちに駆けつけた敵のため25才の命を花と散らした。
 与一の郎党文三(ブンザ/ブンゾウ)家安は、主の討死を聞き群がる敵中に飛び入り主人の跡を追い討死した。この後、討死の地には与一塚が建てられ与一を祭神とする佐奈田霊社が祀られた。
 また、その先100mの処には、文三を祭る文三堂があるが共に今日県指定史跡となっている。霊社下の畑は、組討ちした処と伝えられねじり畑と呼ぶが、このためかこの畑の作物はすべてねじれてしまうとも伝えられる。
 頼朝は、建久元年(1190)伊豆山権現参詣の帰途両基を訪れ、無き両人の忠節をしのび涙を流したと伝えられる。」
(与一が討たれた原因については  手についた血で刀がすべって敵になかなかとどめを刺せないでいるうちに~ とする説もあります。又 Wikiには 「与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまった という言い伝えから、咳・声・のどに霊験があるとされ~」と載っています。この説から 以前伺った折には 佐奈田霊社の授与所で喉にきくという「佐奈田飴」が売られていました。(過去形にしてすみません、この日たまたまお人がいらっしゃらなかっただけだったかも?))

境内へ向かいます。

(↑そうそう この境内の北の道は「裏参道」だそう。表参道はこの後歩きます。)
裏参道を上り切るとー

霊社前に出ます。


(↑↓天水受けや棟 瓦などに見える 丸に三つ引き は三浦の紋)



↓波があしらわれた扁額。

堂内は金の蓮が飾られ 仏像 位牌も置かれていましたが 正面には与一を象ったらしい像と鏡があり やはり「神仏習合」な雰囲気でした。(白状すると 「手を叩いたものかどうか」でちょっと悩みました)

が、ともかく_
石橋山の合戦で亡くなった与一を 頼朝は「魁秀明神」として祀るよう命じ、与一は今もこの地で鎮まっている_んですね。

霊社の隣には観音堂_。



本尊仏は明星観世音菩薩 との事。

堂内正面には観音様(明星観世音菩薩)のものと思われるお厨子もありましたが、その前に武者人形が置かれていました。(右手に扇を持ち背に弓矢というのは 霊社にあった与一と思しき像と同じなので もしかしたらこの武者人形は与一を表している、のかも?)


観音堂の横に 与一塚。

ここに与一は 甲冑をつけたまま葬られた、そうです。

近くにあった「徳仁親王殿下(今上陛下) 登山記念の杉(奥のまだ細い木、でしょうかね?)」と刻まれた石柱とー

「小田原ふるさとの原風景百選/5石橋山古戦場と佐奈田霊社」のプレート。


境内にはこの他~
↓湘南そろばん塚、(供養塚)

↓「江戸消防記念会 第九区」が奉納した 霊社の創建記念の碑、

↓手附石(テツケイシ)、

(↑怪力の持ち主だった与一がつけた手形、だそう。って ああ 説明の石の右にあった 肝心の手附石が写ってないー ↓仕方がないので以前撮った写真を貼りますー)))

↓木遣り塚、などがありました。

(木遣りを歌う方々にとって佐奈田霊社は「声 喉」に御利益のあるお参り処、なのですね?)

ではお暇してー


少し離れた処にある与一の”郎党” 文三(ブンザ/ブンゾウ)が祀られている文三堂(ブンゾウドウ)へ行ってみましょう。



↑↓で この、南へ下る道が 霊社の「表参道」なのでございます。



参道、を下り切ったところ。


海側へ行くと_ (来しなに通った)佐奈田トンネルの方へ出ます。

という訳で 山側へ~。



_ つづく。