順序は逆なのですがー
「伊藤家のつぼ」へ行く前に 真鶴の漁港近くにある貴船神社に寄っております。
石段手前に由緒書。
「古くは 貴宮(キノミヤ)大明神ととなえていましたが、明治維新の際 貴船神社と改めました。
寛平元年(889年)の創建といわれ 大国主神 事代主神 少彦名神がまつられております。
毎年7月の27・28の両日におこなわれる貴船祭は、日本三大船祭の一つとして有名で、同時に奉納される鹿島踊りとともに、神奈川県の無形文化財(昭和33年)無形民俗文化財(昭和51年)に指定されております。」 (ここからお分かりの様に 京都の貴船神社との関わりはありません)
では伺いましょう。
手水舎。
その向かいに案内板。
(↑先ほどの石に記されていた物より 少し詳しい記述があるので そこだけピックアップするとー
「明治初年に貴船神社と改称し、同六年郷社に列せられた。大正十二ねんの関東大震災から復興するに当たり、境内を拡張して昭和十年現在地に社殿を移転、同三十八ねん本格的な造営が完成した。拝殿内部の彫刻一切は、幕末の巨匠江奈の半兵衛の名作である。」だそう。)
では改めて石段を上ります。
(尚、右手は保育園)
一段上がった 左(海側)には_
↓海神を祀る 龍神社。
鈴の綱に「船玉竜神社」の文字。
↓参道の右(山側)には 稲荷社。
後ろにまとめられているのは 家庭で守っていたお稲荷さん、との事。
その横にも小さな祠が二つ_。
↑左が 淡島神社(和歌山は加太からの分霊とか)、 右は 恵比寿大黒社 だそうです。(+ 淡島神社の左の狛犬は可愛さ一等賞!お参りの際は是非淡島社までおいでになり 彼の笑顔に癒されて下さいませ^^)
最後の石段を上がります。(時にこちらの石段は108段。 煩悩を踏み越える、という意味を持つそうです。)
白塗りの社殿が現れた。
こちらが貴船神社。/ 大正12年の関東大震災で前の社殿が倒壊したため 昭和10年にこの高台に移され 昭和38年には鉄筋コンクリートの社殿に、といいます。尚旧本殿は 現在は「祖霊社」となっています。
伝承によると_
平安の昔 真鶴の笠島(現・三ツ石)沖に「光を背にした舟」が現れ、舟内の「木像十体余り」を祀ったのが始まり~といいます。/ いわゆる キノミヤ信仰 の神社なんですね? (キノミヤ信仰は 「鹿島踊り」が盛んな地域とほぼ重なる_ そうですが ここ真鶴の貴船神社でもお祭りで「鹿島踊り」が踊られます。)
きざはし両脇に奉納された菰樽。
海側に祖霊社。(上でも打ちましたが、こちらは「旧本殿」。素朴にして凛とした 良いお社ですね?)
祖霊社の左隣には「山神社」。
かつては真鶴の「お林」こと 幕命で小田原藩に割り当てられた松の植林地内にいらした神ですが お参りが困難、と 明治初年に貴船神社境内に移された~ そうです。
尚、祀られているのは大山祇神(オオヤマツミノカミ)との事。真鶴では 石材関係者に信仰されてきた神様だそうです。
(↑神社のHPの記述と異なり 石には貴船神社境内への遷座年が大正8年となってますね・・・)
この高台には 他に お祭りの様子をジオラマで再現した「御船舎」がありました。
神社公式HPの「写真館」に 国指定重要無形民俗文化財 である貴船祭りの様子を写した素晴らしい絵が沢山あります。是非ご覧下さい!
私達も是非一度このお祭りを「生」で そしてできたら「間近」で 見させて頂きたいもの、と思っています。
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12年前に訪ねた時の記事はこちら↓
https://blog.goo.ne.jp/numabe3/e/5ce097d99c482fd10107c2df430831b9