飯泉(イイズミ)観音(飯泉山勝福寺) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

(実は去年 はつ花扇町店でお蕎麦を食べた帰り、の事ですが_)

飯泉山(イイズミザン)勝福寺 _飯泉観音へ寄りました。


そばを走る県道718号の 国府津-飯泉間が「巡礼街道」と呼ばれるのは このお寺が 坂東三十三所霊場の第五番札所である事に由来しています。
↓説明版。

言い伝えによると、753年に かの弓削道境(ユゲノドウキョウ)が建てた千葉山弓削寺(近くにあった千代(チヨ)廃寺 がそれ とする説があるようです。) の東院堂_を基にするお寺とか。 (千代から)ここ飯泉に移されたのは830年、室町時代より寺号が勝福寺となったらしいとの事。(道鏡は法相宗の僧ですが、現在の勝福寺は真言宗東寺派。)  棟木から1706年に再建された事がわかっている観音堂は 1969年に修復されています。 又、堂内の本尊は道鏡が孝謙上皇(718-770)から賜った 鑑真が唐から請来したと伝わる十一面観音 だそう。/ 色々へー。 

時に_ 門のすぐ脇にこんな石柱(?)があるんですがー。


↑南無阿彌陀佛 ですかね? (真言宗のお寺ではあまり南無阿弥陀仏とは唱えないから これは 近くにあった別のお寺のものかも? それにこんなに目立つのに近くに説明版が無いんですよ・・・)/ という訳で すごく気になるのだけど スルーして~

<↑(2022/03/05追記)↑>
この独特の書体の「南無阿弥陀仏」は名号塔 六字名号 などと呼ばれるもの、だそうです。


仁王門_。



↑吽形さん。
↓阿形さん。


丹塗りで華やかな門です。


扁額には山号。

蟇股。


説明版。

「仁王門は『飯泉誌』によると宝暦八年(1758)に造営されたもので、全体に木割が太く、二重虹梁蟇股式の妻架構が堂々とした外観を構成しています。また、八脚門としては県下でも最大級で、格調の高い門です。~」

門を潜って境内へ。


左に大銀杏。

右に納経塔と鐘撞堂。

こちらの鐘は銘文から 寛永六年(1629)に地元小田原の鋳物師 青木源右衛門が作った事、奉納者は江戸の侍 佐須弥左衛門尉(ヤザエモンノジョウ)政重である事 を知ることができる、そうです。


手水舎。


十一面観音を載せた舟形です。

説明版。

「銘文によれな、作者は江戸神田の鋳物師 小沼播磨守藤原正永とあり江戸時代の宝永元年(1704)七月と記してあります。~」

添えられた松の枝がお正月らしく よいお姿の観音様を更に美しくしていますね。


↑でもできたらここから 水 吐いててほしかったなあー。

その先の小建屋は 蔀が下りてました。(多分授与所でしょうね?)

屋根付きの香炉。香炉には七つ星。(こちらの寺紋でしょうか?)

正面が観音堂。 「普門閣」(誰でもどうぞ の意味)。

本尊の十一面観音は33年に一度御開帳 だそう。(最近だと2014年に御開帳なっているようです。次は47年、ですかー?)))

鐘を叩く綱はからげ上げになってましたー。

(↑扁額の左には 沢瀉(オモダカ)、右には橘。どんな謂れが?)

↓木組みには美しい彫刻と彩色~。

↓おや、釣り灯籠の底にも七つ星~。

↓堂内の提灯にも七つ星。(やはりこれがこちらの紋のようですね?)

小壁には飛天。



(↑最近塗りなおされたようですね? 飛天のみなさんは 鮮やかで美しく あでやかというより 艶っぽい感じ、でした。)

お堂の隅に お賓頭盧(ビンズル)さん_

↑「おてをふれずに 御参拝下さい」とのこと_。(撫で仏なのに・・・/コロナには本当に困りますね)))

堂内にはその他 こんなものも。


↑水向(ミズムケ)十三仏 供養塔。(経木に供養する人の名を書き 境内の十三仏にお供えし 水を掛ける~ というものです。)

さて観音堂の東にはー

寺務所がありました。

坂東五番納経所 という札が掛かっています。/ うろうろしていると「御朱印ですか?」と尋ねられそうで近づけませんでした^^;)


さて 寺務所側の塀と観音堂の間にー

沢山のお大師さんの像が並んでいました。



四国の「八十八か所霊場」のミニチュア版のようですね?
↓ブロンズの大師像もありました。



小さなお大師さん~のエリアの 少し観音堂寄りの場所には こんなブロンズ像があります。

地元の偉人、二宮金次郎さんの「初発願(ホツガン)之像」。

(↑バックに写っているのは「水向 十三仏」)

金次郎さんが拝んでいるのは 観音様です。

伝承によると 金次郎さんは14歳の時この寺で 旅の僧が唱える「和訳」の観音経(←人に 菩薩(=求道者 グドウシャ)として生きよ と説くお経)を聞いて感銘を受け、 自分も菩薩として生きよう と心に誓った~ のだそうです。

観音堂の西側には_

東向きのお堂がありました。



↑額に「大日如来」とあります。/ 大日如来は 真言密教では「一切諸仏諸尊の根本仏」、とか。(格的には 菩薩である観音様の堂より上ですが) 簡素なお堂です。

大日如来のお堂の裏には 土俵が築かれていました。屋根こそないものの四方の柱が残っている! これは凄い。

もしかして まだ「奉納相撲」も残っているのかしら?

(↑土俵の向こうには馬頭観音を祀る八角堂  そして裏門 が見えています。)


さて境内南の銀杏はー

「神奈川県指定天然記念物」になっている大銀杏でした。


もう年の瀬もせまっていた時分で 葉はほとんど落ちていましたがー
お地蔵さんの衣の裾やー

地面に ぱら ぱら と_

そして 大日如来のお堂の屋根に しっかりと、

残っているのでしたー。

飯泉観音の境内と 境を接して(というか 境がない))) 八幡様もあり、そちらにも寄っているのですがー

長くなったので 項をかえましょう_。