白笹(シラササ)稲荷 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

白笹うどんを食べた後は
近くの白笹稲荷へ行ってみました。

(↑一の鳥居)
因みにこちらは「関東三大稲荷」の一つ、だそう。(尚 他の二社は 茨城の笠間稲荷 と 東京は北区王子の装束稲荷、ですって。)))
 


参道を進むと 又鳥居。

手前に手水が・・・滴っていました。

(これはコロナとは関係なく 以前から、ですね)

駒狐。


↑「子守り母狐」と呼ばれているようです。

ではお社へ。

茅の輪が設えられています。(コロナの終息を祈って)



(↑「大祓えについてー」「茅の輪についてー」)

拝殿。/ 御祭神は宇迦御魂命・大宮売命・猿田彦命。

古書には「白篠(シラササ)稲荷」と載るという こちら「白笹稲荷神社」。創建は不明ながら、 秦野(ハダノ)は渡来系の「秦氏(ハタシ)」と関係があると いう説をとる人達からは 秦氏が大陸から連れて来た女神(伏見稲荷)と関係があるのではと考えられているもよう。

唐破風の上には 向かい合わせの稲穂と「白笹」の文字。(こちらの紋のようですね?)

その下には 稲穂を咥える狐 の彫り物。

天井をちょっと覗かせて頂きます。

龍が描かれているようですね?

パンフレットによると「歌舞伎絵の第一人者である後藤芳世画伯が 7年の歳月をかけて描き上げた天井柄です。格天井150枚の中央に龍神様が描かれ、周りを縁起物で埋め尽くした宝尽くしの図は神々しい赤誠の作です。」との事。(へーっ。)

社殿横には 赤い鳥居が連なるように立てられていました。





導かれるままに進むとー


東末社 という所に出ました。

「草木の精霊」を祀る社、だそうです。

ここを守る狛狐さんは ちょっと「個性派」。



コンクリート製なのですが、 脇の説明版によると_

「明治5年にイギリスから初めてコンクリートが輸入され、そのコンクリートにより造られたお狐様です。」だそう。/ 慣れない素材に当時の人が悪戦苦闘した~ 感じが出てます?

そのすぐ横には 「狐塚」。

(みんな 仲良く楽しく暮らしているようで なにより な感じ^^)

道なりに進むと~


「権兵衛稲荷」がありました。


説明版。

「権兵衛稲荷の名称由来 / 茨城県神栖市周辺に於いて代々庄屋を務めていた安藤家の当主が権兵衛と名乗っていた事に由来している。茲(ココ)に奉納にあたり従来の西末社を合祀し、権兵衛稲荷としたものである。/平成二十七年~」 (安藤家の屋敷神だったお稲荷さん、という事なんでしょうかね?)

因みに今いるのは 本殿の裏手。

(左奥が本殿 右を向く小社は「祖霊社」。右手が「権兵衛稲荷」)

祖霊社前 ー

本殿横を通って ー



一回り、 したのでございました。



家に帰ってから 頂いたパンフレットを見てー



あれこれ 見落としていた事に気づきました・・・。/ 次回は、 鳩の意匠が用いられているという屋根 ヒカリモの自生する泉 一貫田という湧水 などちゃんと見たいと思います。(拝殿の天井の絵も!) / おしまい。