cu-mo箱根でおやつを食べた後は 元箱根(モトハコネ)の精進池(ショウジガイケ)へ。
(↑奥の山は山頂にロープウェー駅のある駒ケ岳)
この周辺には 石仏や石塔が点在しているのですってー。(しらなかったー)
まずは池のそばの「石仏群と歴史館 (保存整備記念館)」という施設に入ってみます。
(↑白状すると入館するのに ちょ っと勇気が必要でした)
↑池に面した側は休憩スペース、
↓反対側は展示スペースになってました。
あまりにリアルなので 一号線開通で移動させざるをえなかった石仏さんたちかナー と思いましたが「レプリカ」だそう^^;)
↓「年表」。(石仏 石塔の作成年代が書かれています。)
(見にくいので箱根町のHPのGifをご覧ください⇒*)
散策に出発。
まずは一号線の向こうの地蔵堂を目指します。
(↑右にポチっと見える建屋が地蔵堂。)
ここを右、ね?
え? トンネル?
(そうか 一号線の下を潜る、んだー)
トンネルを抜けた先にー
どん と いきなり大きな地蔵堂。
中にはー
大きなお地蔵様。/ 俗称・六道地蔵 (1300年成立) だそうです。
室町時代に建てられたというお堂は 江戸時代に焼失し 以後お地蔵さんは露座の摩崖仏 だったといいます。今ある建屋は近年復元された物。
お堂の周りにもお地蔵さん達がー。
もう一度地下道を通って 池之端に戻ります。
(↑それにしても_ ここ 何度も通っている一号線脇なのに 今まで こんな大きな地蔵堂に気づかなかったなんてー・・・)
では分かれ道を 今度は右(北)へ行ってみましょう。
↓池側に火袋部分が破損したらしい灯籠・・・
・・・かと 思ったらこれが案内板にあった「俗称・八百比丘尼(ヤオビクニ or ハッピャクビクニ)の墓 (1350年成立)」でした。
(墓といっても この下に800歳まで生きた尼さんの遺骨があるのではなく 供養塔・祈願塔の類でしょうね?)
近くにいらしたお地蔵さん。
あら、よく見ると お供(?)も。
「俗称・応長地蔵(1311年成立)」 だそう。
尚行きます。
↑あははは ぼけぼけだー
↓宝篋印塔(ホウキョウイントウ)/「俗称・多田満仲(ミツナカ)の墓(1296年成立)」。
↓説明版。
(多田満仲=源満仲というと兵庫県の多田神社の御祭神! 箱根とどんな関わりが? 多田源氏の祖として 鎌倉時代に ほにゃほにゃ・・・にゃ? ワカラズジマイ)
更に奥へ行くとー
おお! これが!
石仏群、 だー。
あ、”ひさしつき”のニッチ(龕/ガン)。 「石仏群と歴史館」に作られていたレプリカはこれを写した物、 ね?
石仏はほとんど 錫杖を持つ「おじぞうさん」のよう。
で、これが「俗称・二十五菩薩(1293年成立)」ですかー。
かつて箱根は 地蔵信仰の霊地だったんですねー。(噴煙の上がる昔の箱根は「地獄」をイメージさせる場所だったようで。)/ そういえば小田原宿のはずれ、箱根への入り口にも地蔵堂があり 旅人が箱根越えの安全を祈った と聞きますねー。
続いては 又一号線をあっち(上二子山側)へ渡ってー
・・・ あれ? 簡素な小屋があるだけ?
そばのバス停名は「曽我兄弟の墓」となっていましたがー・・・
墓はなしー。
MAPを見て又混乱。ああ、さっきのとは逆で 今度は左が北なのね?(統一してほしいわー)
地図が読めたので 兄弟の墓はこの先 とわかりました。
行ってみましょう。
「俗称・曽我兄弟(十郎と五郎)と虎御前(五郎の愛人で 大磯の遊女といわれる)の墓 (1295年成立)」 / 兄弟及び虎の墓はあちこちにあるので ここに遺骨があるかどうかは不明・・・だと思います。尚兄弟の仇討ちは1193年。
↑説明版を読んで 兄弟の五輪塔にお地蔵さんが彫られている事に気づく事ができました。(ぼんやり眺めただけだと見落としてしまうー)
バス停、まで戻ってきました。
ここから 少し車道の際を歩きます。
↑この岩にも よっく見るとー
↓お地蔵さんが一体。
岩の角を曲がった先にも二体。
合わせて三体。
で_この岩のお地蔵さんは 一号線のあっち の「俗称・二十五菩薩」に数えるのだそうです。/ こっちに三体だから あっちに二十二体あった、という事かな?(・・・と思ったのですが 調べてみると 西には二十三体ある そうです・・・。じゃあ じゃあ「二十六菩薩」じゃん?^^;)
<話の途中ですが だそく>
お地蔵さんが刻まれていた岩壁に 字 と思しき彫り跡が。何って彫られてるのかなー
_と見てたら 虫がいた。くも?
帰ってWEBで調べたら蜘蛛とは(似ているけれど)別の ザトウムシ という虫でした。
(ちょっとルドンの蜘蛛を思い出すー)
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精進池まで戻って参りました。
石仏群と歴史館も見えた_。
_短い散策でしたが 見ごたえがありました! 本当に「箱根にこんな場所があったなんて!」でした。
この後は湖畔でお昼~。/ つづく
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元箱根にあるこの池が 精進池 なのは、 硫黄が流れ込み魚が住めないから、(なまぐさもの がいない)_といいます。
又精進池 と書いて しょうじんいけ ではなく しょうじがいけ と読むのはーこの地方の昔話 (池に棲む蛇に懸想された盲目の若者 庄治 が、この蛇から口止めされていたにも関わらず蛇の話を里の人にしたため 蛇に殺される~) が関係している、らしい。 (って 精進と書いて「しょうじ」と読むのは 富士五湖の一つ精進湖(ショウジコ)もだけどねー?)