戦国時代の小田原城の「三の丸外郭 新堀土塁」その1 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

競輪場から山手へ坂を上がっております。

↑右の坂を上がると小田原高校、
↓少し行くと 左手に相洋(ソウヨウ)高校(←現・私立中高一貫校/1938年 小田原中学内に設置された夜間中学としてスタートしています) が見えてきます。

↓道脇から見た相洋高校のコート。コートの向こうの山襞は天神山丘陵_ 戦国時代の小田原城の外郭の一部でもあります。

天神山丘陵は 今は住宅地になっていますが、右手の高台(城山丘陵と接する場所)は 近年になって遺構が 「三の丸外郭 新堀土塁」として整備されている・・・ そうです。/ 今回はそれ を見に来ています。

振り返ると 競輪場、 チラ っとお城。

(因みに 現在 高校のコートや競輪場のあるこの谷には 江戸時代には広い「調練場」があったそうです。)

バス停「相洋高校前」まで来ました。

右手に (慰霊塔のある)城山公園へ上がる坂が現れー


尚行くとー 又右手に

「小峯庭球場」への入り口が見えてきます。


(↑そういえば ここも遺構なのだと 以前参加した「街歩き」でガイドさんから聞いたなあー)
利用者があったので 写真は撮らないで引き返します。


海側に 相洋高校のグラウンド。


坂を上り切った所が バス停「城山四丁目」。


あらグラウンドのフェンスにー・・・「閑院宮御別邸跡」ですって。

閑院宮家の御別邸ったら 東は 黒田家別邸「清閑亭」の隣、(現・国際医療福祉大学のキャンパスがある所~)ですよね。 西は ここ まで???(広い!)


バス停のある辻から、南へ下る道 に立っています。

↑左の 車止め の先の尾根が「(戦国時代の小田原城の)三の丸外郭新堀土塁~。
(詳しくは 次の項で。)

かつてこの高台から板橋駅方向にかけての斜面地にも 山形有朋 大倉喜八郎 益田孝(鈍翁/ドンノウ) 松永安左エ門(耳庵/ジアン)ら 著名人の住まいや別邸が点在していたそうです~。(いまはむかしー)

(↑真鶴半島)

(↑秀吉の一夜城があった石垣山)

(↑箱根/ 赤い屋根の上に見えるのが外輪山の二子山)
↓振り向けば 御鐘ノ台の大堀切(オオホリキリ) の東堀 の入り口が。(垣で守られているのが 東堀。その左の車道は 中堀、です。ここからは見えませんが 当然 西堀もあります。)

_大堀切の絵も 又 項を改めて貼りましょう。


この項は とりあえず ここまで_。