桜優先でブログに写真を貼ってきたので 話がズレてしまいましたが_
3/30は 大口広場での花見~
_の前に福澤(フクザワ)神社と 文命用水の一ノ堰を見に行っております。
まずは神社、の方からご紹介ー
(↑大口広場の駐車場から見た 福澤神社)
鳥居を潜った右手(北)に 神社の基となった文明宮祠(ブンメイキュウシ)や碑文 灯篭が まとめて置かれていました。
↑中央に見えるのが文命宮祠・・・を復元したもの。/ 江戸時代に酒匂川の治水のために築いた堤(文命堤)を守るため 文命(=古代中国の治水の神様「禹(ウ)」の別名)を祀る祠が 川の両岸に置かれた_ そうですが こちら側(右岸)の物は失われてしまい、 左岸側の物をまねて作られた、のですって。
↓説明板。
(↑おっと・・・築堤の功労者 田中丘隅(キュウグ)が建てたという六地蔵の一つ 大口川丈地蔵尊の写真 撮り忘れてますー。 駐車場の方にあったのかー・・・
(↑駐車場の「馬頭観音」と刻んだ石を撮った一枚の右端に チラ っと写ってるだけだ 残念^^;)
上にリンクを張った県の神社庁の頁に詳しいので ここでは神社の説明は ざ っとにさせて頂きますがー
この神社は、治水の神 禹(ウ)を祀った「文命宮」に始まるんですね?
明治になって村内にあった九社の神々を合祀し「文明(命?)社」となりますが 明治42年より 「福澤神社」と称すようになった、そうです。
↓拝殿。
(↑コロナ対策でしょうか 鈴が鳴らせないよう 綱が柱に結わえ付けられていましたー)
(↑拝殿横(南)からー)
(↑神殿裏(東)からー)
時に社名が「文命社」から「福澤神社」となったのは? と思ったら 明治22年に「町村制」が施行され 八つ程の小村が合併して「福澤村」ができたから。でした。 しかし、えーでは その新しい村の名「福澤」はどこから?
_と思ったら なんとこれが 村を度々訪れていたという「福沢諭吉」から。(Wiki 福沢村、をご覧下さいませ。 ってWikiには なぜ諭吉が度々福沢村に来ていたか、は載っておりません。
どうやら 千津島の観音堂の説明板に親交のあった人々 宿泊した館 などが書かれているらしいので 近々行ってみたく思います_。)
さて、境内の南側には こんな場所が。
何の案内もないけれど 多分 神社で奉納された「子供相撲」の土俵痕、かと。/ だってここは「足柄」ですもんね^^)
続いては 神社の南を流れる文命用水を見に行っております。