天神山の天満宮(山角天神) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

清閑亭を出て 国際医療福祉大学前を通り、

道なりに進むと、
この高台の名「天神山」の名の由来になっている 天神さん「山角(ヤマカク)天神」・・・の裏に出ます。

ここから南へ下る事になる この坂の勾配のきつさ、写真でおわかり頂けるでしょうか?

境内に入り、社殿正面へ。

虹梁の上には龍。


扁額には「天満宮」の文字。

神社について_

北条三代目 氏康の時に勧請された神社だったんですねー。

拝殿内を覗きますと

奥の左手に氏康が奉納したと伝わる掛け軸が見えました。
さすがにそれは撮ってはまずかろうと 展示用と思われる複製の方をー↓。

(↑怒気を含んだ表情に描かれた道真公。「怒り天神」っていうスタイル だそう。)
↓社殿横に「山角天神社の菅原道真画像」の説明板。


(神社の創建は不詳との事ですがー 
ここに古くからあった三光寺という真言宗の大寺が1561年に 山角天神社の別当となった、と言いますから 天神さんの勧請はそれより少し早い位?//尚 現在神社にある道真を描いた絵 は明治に入るまで三光寺に保管されてきたもの、だそうです。)

境内には 末社や子供用の遊具が置かれていました。

(↑赤い鳥居に 赤い屋根の祠。てっきりお稲荷さんかと思ったら「夜叉神社」だそう。どんな神様が祀られてるのでしょう?)
(↓こちらも 祀られている神様のわからない祠がー。)

↓境内西側には 社務所。

(尚、同じ建屋の北側には「天神山公民館」と書かれた札がー。)


さて、退出しようとして_

南の石段横の急な斜面地に どなたやらの胸像があるのに気づきました。

(何度も来ている場所だのに あれーどうして今まで気づかなかったのだろうー?)
↓(右から)海軍大将瓜生外吉、ですって。(大正六年(1917) 北村四海(シカイ)作 とか)

へー 「仁川沖海戦」(←日露戦争の口火を切った戦い、だそうなー)で勝利した方、でしたかー。 又夫人は 益田鈍翁の妹・繁子さん とか。(へ~)/
で 瓜生さんは1912年に (義兄にあたる)益田さんの勧めで 天神山の坂の上に 別邸を持ったんですって。そして家までの坂を舗装した~ ので その坂は「瓜生坂」と呼ばれる事になったそうなー。(へ~~~)

ちょっとこれは 小田原市民としては「覚えておかねば」ですね。

石段の下の 天神社の鳥居。


(↑鳥居の左が瓜生坂 ←違ってました 瓜生坂はもう一本西、だそうです。)
↓坂の下にあった 天神社と瓜生外吉の像の 説明板。


なかなか 「濃い」学びができましたです はい。/ おしまい。 (で この後 西海子(サイカチ)へ桜を見に行った、んですねー)


メモ
さて、天神さんに冠されている「山角(ヤマカク)」は町名で  由来は 昔ここに屋敷を持っていた 北条早雲に仕えた武将 山角(ヤマカド)氏から~ といいます。/ 因みに「やまかど」の由来は 屋敷があったのが「山のかど」だったから~ だそうです。(ヤマカク ヤマカド ヤヤコシイですね^^;)

<メモその2>
Twitterでもらった情報ですが、瓜生海軍大将の胸像を作ったのは 北村四海 という彫刻家だそうです。/像のどこかに「四海」の文字が彫られてるんですって。// ちょっと改めて見に行って来なくては。
又、瓜生坂は、 文中では誤って 天神さんの西隣 と打ちましたが 調べた所 もう一本西、とわかりました。 すみませーん。。。(4/11)