御木本真珠島(+伊勢うどん) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

年末の伊勢志摩巡り三日目~

宿泊した「かんぽの宿」の車で鳥羽駅まで送ってもらった後は_
(荷物を鳥羽駅のコインロッカーに預け、)
海辺を歩いて 真珠島(シンジュシマ)を目指しました。

↑開店前の「鳥羽マルシェ」に行列ができてましたよ!(多分 地産ビュッフェレストランを利用しようとする皆さんね?)
↓マルシェ前の広場中央には イルカの噴水が。

姉妹都市を結んでいる加州サンタバーバラ市との友好・親善を深めようと制作されたもの、とか。
↓水が止まってわかりましたが イルカは三頭いるのでしたー。

(発見 した気分に^^;)

ウッドデッキの歩道を進みます。

(↑正面が真珠島。)

おや、竜宮城型の遊覧船が近づいてくる。

(↑右手の島は 坂手島)

遊覧船って速いのね、あっと言う間に私達を追い越し、船着場に。


↓こんなコースを回るんだってー。

(↑地図上で「イルカ島」となっているのは 正式には「日向(ヒナタ)島」)

船着場のすぐ横が 真珠島の入り口でした。


チケット売り場。

一旦行き過ぎます。

実は先に水族館を見学したんですよ。

その話はここでは省きますが_

水族館の手前の食堂街の奥にある生け簀の写真は こっちの項に貼っておこう。


↑あそこは 販売所にもなってるんです。
歩道を進むと「パールタウン」という複数の真珠屋さんが入るテンポがあるのですがー

(↑二階部分は食堂)
↓その奥に 「丸幸」さんという海産物のお店があるのだ。

(↑遠くて見えにくいのですが サザエや鮑 伊勢海老などが売られているようでした)
水族館の帰りに寄ったら 結構人が集まってました。きっとお正月用の御馳走を買ってたんだろうなー。

おっと、「真珠島」_

ではチケットを買って入城しましょう。

橋を渡ります。

到着。

島はこんな_ 五角形をしている、らしい。

元々は「相島(オジマ)」という島でしたが、1893年 御木本幸吉がここで真珠の養殖に成功し (中略) ミキモト真珠島になったとの事。
↓あら 海女の実演、ですって。

まずは これから観ましょう。


まっすぐ進むと 大きなブロンズ像がありました。

この方が御木本真珠の創業者、御木本幸吉さん。(社員からは「大将」と呼ばれていたそうですよ?)

(↑あら、マフラーが「ワンループ」だ。昔もこの巻き方流行ってたんですかね?)
尚 幸吉さんが手に持っているのは貞明皇后から賜った竹の杖、とか。

パールミュージアム前を通って海側へ。



↓見学用の建屋。

少し沖に養殖用筏。 小舟がその手前に入ってきました。

船内には 暖をとるためと思われるストーブが。

素潜りを実演してくれるのは 二人の海女さん。

(↑何のためらいもなく ぽん と背面から海に入る海女さん。)
今は真珠生産に海女さんの力を借りる事はないのですが、 養殖の歴史 を振り返る時には この地の海女 の存在は切り離せないんですね。

(かつては 養殖に使うアコヤ貝を海で採り 核入れした貝を再び海へ~。というだけでなく、赤潮発生 台風接近 という時も 海女によって貝を移動させていたそうです。)

すごいな 海女さん!

さて、お昼も真珠島で頂きましたよ。

利用したのはショップ2Fのレストラン「阿波幸」。

(後で知りましたが 実はこの店名 創業者の生家のうどんやのものなのでした。)
↓伊勢うどん と 真珠貝の貝柱 を頂きましょう。

1時半過ぎの食堂は ほどよくすいてました。

(↑お好きなお席へどうぞ~ と言ってもらえましたよ)

↑亭主は炊き込みご飯つき。(ついでのオマケでお酒もつけてますな。)私はおうどんだけ。
さて、何ゆえ 御木本の真珠島で伊勢うどんなのか、というと_

実は 真珠王:御木本さんの実家は うどん屋さんだったのです。 (正式な記録は残っていないのですが 多分出していたのは「伊勢うどん」だったのではないか~ と言われているそうなー)
_そうと知って食べると すでに旅行中 朝ごとに宿のバイキングで食べていた伊勢うどんも 改めて「へぇ~」でした。
+ 真珠が採取される冬しか食べられないという珍味「アコヤ貝の貝柱」も 御膳についてましたよ。

(お盆の左上の 貝に盛られた佃煮風の物がそう。)

鳥羽でのお昼は 一見地味だけど 真珠島で頂くのも「あり!」^^)

食後はミュージアムで沢山「それはもう」なお宝を拝見したのですが、 



   ~ ~ ~
キリがありませんので この位にして(?)

次に見学した「御木本幸吉記念館」の写真を貼りましょう。


入るといきなり「んどう 幸波阿」という暖簾が。

その奥は うどん屋の店、という作り。(幸吉の生家が営んでいたうどん屋の復元といいます)




(↑、とこんな塩梅で「うどん屋」の長男として誕生した~ というところにかなり力が入った展示だったんですよ^^;)

しかし吉松(←幸吉の幼名)は うどん屋にはなりませんでした。明治という新しい時代がチャンスをくれたのです。職業選択の自由、移動の自由、身分制度からの自由、結婚の自由、教育を受ける権利、、、。(彼自身は学校へは通っていませんが 尋常小学校を高等科まで出た士族の娘:うめ と結婚しています)

そしてガッツと商才で 仕事を変えながら 最終的に真珠の養殖業+宝石商として世界的な成功を収めた んですね?




見応えありました。

にしても、幸吉さんの功績は 本当に大きい。もし日本に今日のような真珠産業がなかったとしたら・・・。

記念館あたりは松が植えられ 分限のある人の邸宅のお庭~ な雰囲気に作られていました。


潜り戸の先には 門松。/ 来訪者がこちら側から見学する事を想定しての事かな?(ちょっと申し訳ない気持ちになりました)

_ ともかく、こんなのが真珠島なのでした。


<おまけ>
↓真珠島からの眺め。

右奥に 私達が泊まったかんぽの宿も見えました。



で、本当はこの後賢島へ移動したのですが、次の項には 一つ飛ばした 「水族館」で撮った写真を貼ろうと思います。