鶴橋の産湯稲荷神社 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

奈良の桜井に等彌(トミ)神社を訪ねた帰り_
鶴橋で電車を降り 産湯稲荷神社へ寄ってみました。

ここは 今は鶴橋の交差点の東に移っている比売許曽(ヒメコソ)神社の旧社地だそう。 / 比売許曽神社の今の御祭神は大国主の娘・下照比売(シタテルヒメ)命ですが、 古事記には 「新羅から来た阿加流比売(アカルヒメ)神が難波の比売碁曽(ヒメコソ)の社に坐す」と載るので 昔はここにアカルヒメが祀られていたのかもしれませんねー。

境内は薄暗い程に木々や草が茂っていて 所々に石の像がいたり 祠が建っていたりー。/ ここ本当に鶴橋? な感じ。

ちょっとした異世界感すら漂うー・・・

しかも「高低差」がある。(ここは上町台地のキワなんですね?)

石段脇に手水場。

(↑実は気づいたの お参りの後でございます・・・すみません)

ともかく ここが産湯稲荷さん、です。

御祭神は 宇迦之御魂神(お稲荷さん、伏見系でしょうか)、下照比売命(大国主命の娘、元の祭神)、大小橋命(オオヲバセノミコト_天児屋根命の十三世の後胤、この地の開拓者)の三柱。

社の南(向かって左)には_

神名を刻んだ石が並んでいました。

(古い形の摂社・末社の祀られ方なのか はたまた街のあちこちに祀られていたものがまとめられたのかー)

さて、産湯稲荷が「産湯~」なのには理由があります。
御祭神の一柱 このエリアの有力者だった大小橋(オオヲバセ)さんがここで生まれているのです。 (そういえば今の比売許曽神社の南に 大小橋さんの「胞衣塚(エナヅカ)」もあるんですよねー)
↓お稲荷さんの参道の北側に 産湯に使われたと伝わる井戸もあります。




↓井戸の覆い屋にあった説明板。

(ここは昔「味原郷(アジハラノゴウ)」と呼ばれていたんですね? その由来は_大小橋命の弟に阿遅速雄(アジハヤオ)命という方があった。 又、大国主の御子・味耜高彦根(アジスキタカヒコネ or アジシキタカヒコネ ←ご祭神の一柱下照比売のお兄さん)がこの地に天下り給うたから~ だそうです。 更に_ 大小橋命は小橋宿祢とも申したのでここは「味原トモ小橋トモ云フ」のですって。へー。)
↓近くにあった石には「大小橋命産湯玉之井」と刻まれていました。


色々勉強になりました。

井戸の先_東側には小さいお堂があり、

お不動さんが ちょこん とおられました。

御由緒等はわかりませんでしたが 多分「水」の守りに祀られたのでしょうね? (備忘録/お不動さんが水と結び付けて考えられるのは_不動尊を表す梵字「カンマン」が「岩(不動) + 水(柔軟)」を表しているから、ですって)


神様も仏様も 小さな境内で仲良くされてて 何より、でした。

(↑桃山跡 って? 何でも昔 このあたり一帯は桃園だったんですって。鶴橋の一つ南の駅が「桃谷」なのも同じ理由だそうで へ~っ)

神社境内の南は公園でした。

地形が上手く利用されてて 面白いと思いました。

公園名は「小橋公園」。名(というか地名)の由来は 大小橋命の別名「小橋宿祢(ヲバセノスクネ)」から、ですね? (さっき知ったばかりですが^^;)

この後は 鶴橋駅近くの風月で塩そばを食べてー


次の目的地、東天下茶屋(ヒガシテンガチャヤ)に向かいました。/ つづく