大原へ-7寂光院 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では 『平家物語』ゆかりの寺_ 寂光院へ。

↓門の横の説明板。

山号は清香山、寺号は玉泉寺。推古2年(594年)聖徳太子が父帝・用明天皇の菩提を弔うために建立したお寺で 初代住職は太子の御乳人(メノト)玉照姫(慧善比丘尼)との事。
が、その後の記録は残っていないのか 二代目住職として阿波内侍(アワノナイシ/ 後白河法皇の乳母の娘で 崇徳天皇の寵愛を受けた女官。 建礼門院には宮中にあった時から仕えていた)、そして三代目として建礼門院の名が記されているそうです。

時に、「建礼門院」というのは 高倉天皇の中宮となった平徳子(清盛の娘)が 夫である天皇が亡くなった年(1181年)女院となり、宣下された院号 なんですね? 
平家滅亡後 1185年に長楽寺で出家した徳子の 尼としてのお名前は「直如覚」と言うそうです。

では上がって参りましょう。

石段の途中 右手に苔の載った潜り戸。

門の内に待ち合い_。

その先には 「孤雲」という茶室がありました。

↓傾斜地に張り出して建つのは 寂光院の書院。


石段を上りきった所に 門。


正面に簡素な本堂。

覚えておいでの方も多かろうと思いますが 寂光院の本堂は平成12年 放火によって全焼しています。今建つのは再建された新しいお堂_。 

なんですが、すでに20年近くが経っており それなりに落ち着いた佇まいとなっていますね?

火災では 本尊の地蔵菩薩も焼け、現在は復元されたお像が安置されているのですが_ 元の炭化したお地蔵様は樹脂を含ませて保存されており 特別拝観日には一般公開されているそうです。

(↑朝日新聞デジタル の動画)
炭となって尚しっかりと立ち続けるお地蔵様は 痛ましくも尊く 有難いですね? いつか実際に拝見したいもの、と思います。

↓本堂 右手の 書院。


↓汀の池(ミギワノイケ)の向こうには小ぶりの鐘撞堂。

鐘には「諸行無常の鐘」という名が付けられているようでした・・・。


↓鐘撞堂前から池越しに見た本堂。


さて、池の端に枯れた古木がありました。

でこれは「千年の姫小松」と呼ばれる物 なのですって。

後白河法皇が『平家物語』灌頂巻(カンヂョウノマキ)「大原御幸」で詠んだ歌 「中嶋の松にかかれる藤波の 末紫(ウラムラサキ/恨むを匂わす言葉)の咲ける色」に登場する松が この松「だった」そうです。。。

通用門を出ると そこはー

一面緑の 苔の庭のようでした。

そこにあったのは建礼門院の「御庵室遺蹟」。

庵の跡の近くには_

ご使用の井戸、も。

尼様達の質素な暮らしぶりが偲ばれました。


一度退出しー
寂光院の東の石段を上がりました。

石段の上にあったのは建礼門院の墓所。

国母の墓として宮内庁が管理しているそうです。

どうぞ安らかに。(合掌)



(続いては 泊まった民宿の絵を貼ろうと思います)