
(↑三輪山ですー)
失敗~ JRの桜井線を越してから 国道169線を一筋手前の道で右へ折れてしまったようです。。。

(↑今歩いているのは県道50号線「大和高田桜井線」)))
でもまあ こちらからでも行けない訳ではないー。と、スマホを見ながら亭主が言うー。

↓左手に「珠城山古墳群」って地図アプリに載る小山。_(本当はこの小山の向こうを歩くべきだったんですよねー・・・) とそれより雨雲が気になる。

今は「小雨」ですが ざー っときちゃうかもー。

つきあたりを左へー・・・



んー???
又間違えたようです。。。
でも 絵的に素朴で美しいので 撮った写真貼りまーす。

ちょっと引き返して_

さっき左に曲がった道を右へ進むと、山への上がり口がありました。

↓無人スタンドに 大福 発見。/ 一つ頂きました。


坂を上がります。


分かれ道を右へ。

目指す神社はこの先、のはず。

次の分かれ道は左へ。

(正規のルートではないためか 無慈悲に思える程案内板がありませんでした^^;)

アスファルトの道(←本来歩こうと思っていた道)に出た。

(↑後で知りましたが 道脇の燈籠は この道が この先の穴師坐兵主神社(アナシニイマス ヒョウズ ジンジャ)の参道である事を教えていた・・・ようです。)
左手に社。(というより祠、かな?)


兵主神社の鳥居を潜る。

(↑振り返って見たところ。 右の石柱には 「縣〇兵主神社」と刻まれています。前後の関係から 〇の崩れてよく読めない字は「社」だと思われます。/ 後で地図を見たら場所はもう200m程先でしたし、何より 相撲神社を摂社とする神社だったので_ お参りすればよかったなあー)
で、こちらが相撲神社_

おーっと雨が激しくなってきました。しばらく木陰で雨宿りです。。。
ふー やっと近寄れるように_。

改めて_
相撲神社です。

しかし、(リンクを張ろうと)ググってみつけた桜井市の「相撲神社(すもうじんじゃ)」という頁には、 「 鳥居はあるが、社殿は無く 」・・・
?すると 今ある祠は?
その後見つけた 市の観光協会の「相撲神社(桜井市 穴師)」で、
ここ「カタヤケシ」(←穴師坐兵主神社神域の小字名)は 垂仁天皇の前で当麻蹴速と野見宿祢の勝負が行われた場所であり、 国技:相撲の発祥の地として顕彰されるべき~
と、昭和37年(1962)に保田與重郎という方が中心となって「顕彰大祭」が行われた~ とわかりました。
が、 祠については やはりわからぬまま・・・。
でも、祠の横の「勝利の聖 野見宿禰」の顕彰碑_

_は平成25年(2013)に奉納された とわかりました。 祠もその頃に建てられたようです。 (ただ、それを伝える奈良新聞の記事内に 「遷宮」の文字があるので それ以前に古い祠があったとも読めますが)
境内にはブルーシートで覆われた一角がありました。もしかしたら土俵とか?

近くには こんな力士像も。

(↑ちょっと双羽黒に似てる?)
境内を出たところには 力士の顔ハメ看板。

その上の説明板。

(↑最後の控えめな文言、正直でよいとも 気弱とも・・・)))
ふーむ しかしー
あれれー?
當麻蹴速はどこに? / Wikiの當麻蹴速の頁に 「奈良県桜井市の穴師坐兵主神社の摂社、相撲神社に 野見宿禰とともに祀られている。」とあるんだけど・・・。
ちょっと がくり。 (勝者だけでなく 敗者も祀られていてほしかったのだな 私)
って、さて、
観光協会の相撲神社の頁を読んでて 気になったのですがー
「野見宿祢の出身地と言われる桜井市出雲地区」って場所があるんですか?
地図見たら ありましたー。

↑穴師のすぐ近くです!!!(三輪山をはさんで反対側)
野見宿祢って 山陰の出雲から来たんじゃないのー?
色々知りたくてここまで来たのに 謎は更に深まってしまったのだったとさ。
この後は 山辺の道を 大神神社(オオミワジンジャ)まで歩きました。

つづくー