箸墓(ハシハカ)古墳 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

三輪山本でそうめんを食べた後は 東の山の裾野にある相撲神社を目指しました。(相撲の祖_野見宿祢と當麻蹴速が祀られているところの)

えーでもその前に箸墓古墳へ寄ってみましょう。

(↓三輪山本のすぐ東に見える 古墳)

古墳は前方後円墳。手前が「前方」、奥が「後円」です。/ 因みに箸墓古墳は 前方後円墳の最古の例といわれているそうです。(築造年代は、 3世紀末~4世紀初頭、あるいは4世紀中以降かも~ と研究者によってまちまち。もしかしたら 築造そのものや利用に年代的幅があったかも~)))

ご存じの通り、前方後円墳は「前方」部分に祭祀所があります。

箸墓古墳は 宮内庁によって倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)を祀る「大市墓(オオイチノハカ)」に治定されています。(民間では「卑弥呼の墓かも」~ なんて言われていますが)

倭迹迹日百襲姫は 第七代・孝霊天皇の皇女で、桃太郎のモデルと言われる 吉備津彦命のお姉さん。/ これまではこの話を 「ふーん」 と聞いていたのですがー 先日行った高槻市の今城塚古代歴史館で ガイドさんから「箸墓古墳の後円部分から 吉備から運ばれたと思しき土器が見つかってるんです。 吉備地方と行き来があったのは間違いないと思われます。」と聞きまして、 「へ~~~」。

もしかしたら吉備津彦命(←備前+備中+備後、三カ国の「一宮」に祀られる神様) が吉備のお土産に~・・・(土器を ???)))

実際の被葬者はどなたかわかりませんけれど_ どうぞ安らかにお眠り下さい。

(↓一昨年の秋 一人で来た時の記事、貼りまーす)



この後は古墳の環濠_

の名残りー


箸中大池の堤に上がりました。

(↑夏草が刈られていて助かりました。刈って下さった方 ありがとう)

↓歌碑があった。

「大坂に 継ぎ登れる 
 石群(イシムラ)を 手遞傅(タゴシ)に越さば 
 越してむかも」

_これは 日本書紀の崇神天皇の条に載る 大市墓を造った時の歌。古墳に石を葺く様を詠んだものと思われます。

↓大池改修記念碑

(↑↓古墳の「後円」部分の向こうにチラ見えしてるのは 三輪山)

↓池越しに 改めて箸墓古墳。

近くにあった旗。「ようこそ箸中へ」ですって。

旗には 古墳の航空写真もついていた。(くびれが大きく しゃもじのような形をしていますー)

田んぼに後円が映っていますが あらよく見ると・・・

一枚 蓮田になってますねー。 沢山ついた花が綺麗ー。



さてでは、相撲神社のある山の方へ 上がっていきましょう。

つづくー。