當麻寺(タイマデラ)の中之坊(ナカノボウ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

(つづきです)

では、當麻寺へ伺ってみましょう。


仁王さんが守る門を潜ると、右手に公民館がありました。

公民館のフェンス前に並んでいたのは~


↓中将姫と春の練供養の話を記したプレート。

中将姫は奈良時代に 右大臣・藤原豊成(鎌足の孫)の娘として生まれながら 17歳で仏門に入り 蓮の糸で曼荼羅を織ったそうです。(その三代目と伝わる曼荼羅が本堂で拝めます) 又姫は29歳の春の亡くなるのですが その折には二十五菩薩が来迎され 姫を浄土へと導かれたといいます。この伝承の再現が 今日行われている「練供養」、なのだとか。
(尚/ 中将姫は津村順天堂の「中将湯」のパッケージに描かれている あのお姫様。ツムラと中将姫の意外な接点~ についてはツムラのHPの「中将姫物語」で。)

↓當麻寺についての説明板。

お寺の歴史は、用明天皇の皇子:麻呂子王(聖徳太子の異母弟、母は葛城広子)が612年に河内に建てた万宝蔵院に始まるそうです。その後、681年に 皇子の孫:當麻国見が現在地に移し、當麻氏の氏寺として整備した~といいます。当時の宗旨は「三論宗」だったといいますが、現在は 真言宗と浄土宗という 二つの宗派が共存しています。(曼荼羅を納める本堂 は両派で管理。その他の建造物は真言宗が管理しているそうです)

↓境内図。




仁王門正面に鐘楼がありました。

鐘は白鳳時代に鋳造された日本最古の物で 国宝ですって。

この日は 修理で、かな? 業者さんが鐘撞堂内に入ってました。



鐘楼の左手に、真言宗の「中の坊」という塔頭がありました。


何々、「中将姫(チュウジョウヒメ)剃髪所」で「白鳳時代の開創に伴い役行者が開いた道場」で「當麻寺最古の僧坊」~ ですか。

伺ってみましょう。

(↑まー だらにすけ(陀羅尼助←役行者が作り広めたと伝わる民間薬)まで売られてる)

お城の櫓門のような 二階建ての「山門」を潜ると_
庫裏。奥にチラと塔(東塔)。

中に受付がありました。/ 拝観後 お抹茶も頂く事に。


庫裏内のおくどさん。

↑そこに載るのは「秘薬・陀羅尼助精製の釜」。(右が薬草のエキスを煮出す釜、左はエキスを煮詰める釜、ですって) 昭和57年までここで製薬が行われていたそうです。(へ~っ)

↓庫裏の西のお抹茶所。/ 庭園を一周してからここでお茶を頂く事にしましょう。

でここは書院の御玄関のようですね?


西へ向かうと「本堂」がありました。(別名「剃髪堂」)

聯の文字は 右「中将姫剃髪堂」、左「導き観音」(御本尊の十一面観音。中将姫の守り本尊と伝わるそうです)。

↓宝珠の下の紋は上がり藤。これは中将姫が藤原氏の出である事と関係が?

扁額には「西御堂」と書かれています。(では東御堂もあるのかな?)

↓お坊の外に貼られていたポスターの写真ですけれど、導き観音と ツムラの中将湯の中将姫です。


本堂の南には 葛城氏が崇拝していたという豊受大神(稲荷神)を祀る鎮守社(右)_

鎮守社の北に ちら と見える祠は竜王社。「役行者が熊野より勧請した竜神さまが出現した場所」との事。


鎮守社の南には茶筌の供養塚、そして更にその先には

髪塚、がありました。

(中将姫が剃髪後 ご自身の髪で梵字を刺繍し 観音菩薩の導きを祈念した~という故事にちなみ、6月16日には 毛髪をこの塚に納める「髪供養会」が行われる~。そうです)

引き返して、、、
茶筌塚前の_「中将姫誓いの石」。

垣の中にあったのは 窪みのある石_。

なんとこれはー

姫が唱えたお経の功徳で「足跡」がついた石、ですって!

中将姫誓いの石、のその手前には、

「加持水の井戸」がありました。

へーっ 陀羅尼助 誕生に関わりある井戸ですかー!

塀の潜り戸から 南のお庭に入ると_

奥に塔(東塔)が。いきなり世界が広がったような~

っと、足元にはヒカゲノカズラの花だ。(すみません、ちょっと以前から気になっていた植物でして。そうかーこれが花かー)

池の前に立札。

後西(ゴサイ)天皇をお迎えするために作られた庭_「香藕園(コウグウエン)」ですって。(+藕は蓮の事だそうな)

(↑作庭は石州侯(大和小泉藩二代目藩主・片桐貞昌/且元の甥)によるそうです)

左手は書院。

障子の向こうに「玉座」の文字。/ 帝をお迎えするにあたり 玉座も設えられたんですね?


書院前から見た 池。

池越しに 塔。

南の塀から 振り返って見た 書院。

飛び石横の 蓮の鉢。

白い蓮_ 清らで美しいー。

花が終わって「蜂巣」になった物_ 面白ーい。


↓書院の隣。/ 後でお茶を頂く事になる所、です。


その先_ / 庫裏の南側になるのかな?

「知足庵」という 石州公お好みの 一客一亭の茶室、だそうです。



庭の南、丘との境の塀。瓦の上の苔が美しかった。


飛び石について(?)行ってみましょう。

正面_客殿。

客殿の前は 牡丹の庭でした。(花は終わってましたがー)

客殿は 天井絵が素晴らしい~ そうです。

4年に一度公開される、ようですが 写仏をすれば拝観できる、みたい。 (この日も 室内で写仏をなさってる方がありましたよ)

(↑客殿、北側)

この後は「霊宝殿」で「中将姫絵伝」等の寺宝を拝見しー、

書院の御玄関から茶席へ。


(↑「しお」? いや「おし」???)
(↓「亀蔵六」?  蔵六って亀の異名だそうだから これは 亀々???)

では 縁の近くの毛氈の上で お運びさんを待ちましょう。



程なく運ばれて来た 御茶と御菓子。

(↑あ、背景にお庭を入れるために こう並べただけ、ですからね?)
頂きます。

(↑御菓子は牡丹の落雁でした。當麻寺らしくていいですね^^)

御馳走様
 ありがとうございました。


_さてでは 改めて當麻寺、本堂の方へ。


つづくー。