當麻蹶速之塚(タイマノケハヤノツカ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

昨日は亭主と 近鉄南大阪線に乗って 奈良県は葛城市(カツラギシ)の當麻寺(タイマデラ)へ行ってみました。

(↑当麻寺駅 ←寺名は旧漢字の「當麻」ですが駅名は当用漢字の「当麻」なんですねー。ついでのオマケですが地名は・・・「當麻」ですー)
↓駅構内にあった観光客向けのボード。

(↑當麻寺の「練供養会式」、葛城市のキャラクター 蓮花ちゃん、當麻寺の東塔+西塔。ついでのオマケですが蓮花ちゃんがつけてる髪飾りは市章)

駅から當麻寺へは 駅前の道を西へ。迷いっこ無しの「一直線」。


国道を渡ると、正面に塔が二つ見えるように。

マンホールに描かれているのも この景色ね?

(↑バックは二上山(ニジョウザン)、手前は牡丹)

少し行くと「相撲館」がありました。が、この日は火曜日_休館日でした・・・。(残念)


さて、なぜ當麻に相撲館があるか というと
當麻がかの當麻蹶速(=当麻蹴速 タイマノケハヤ / 「力士の祖」と呼ばれる)を生んだ地だからー。

↑當麻蹶速之塚。
↓「當麻蹶速のお話」

(↑説明板によると、この塚は「様式から平安中期以降のものと推測され當麻蹶速との関連も薄いのですが、古くから蹶速のお墓と言い伝えられております」との事)

↓脇にあった「當麻蹶速之像」。


(↑左足をこちらに蹴り出したポーズ。蹶速はその名の通り蹴り技が得意だった、のかな? / 当時の角力は 蹴り技アリだったみたいですねー)

蹶速は、 垂仁天皇の前で野見宿祢(ノミノスクネ)と 戦い、破れた上 所有していた土地は召し上げとなり それを野見宿祢に与えられてしまった~ といいますが、 それでも彼はこの地の英雄であり 野見宿祢と共に「相撲の神様」として 桜井市の「相撲神社」に祀られているんですねー。 _あ、相撲神社へもこの後 (お昼ごはんを食べてから^^;) 行っております。

(↑相撲神社については 項を変えて 改めてー)

近くにはこんな物も。
↓鉄砲柱。

「御自由に~」って書かれてますが いやいや(オバアサンにはムリムリー)

さ、改めて當麻寺の方へー。


つづくー。