ハニワ工場(コウバ)公園の「18号ハニワ窯(ヨウ)」 | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

(続きです)

ここがハニワ工場公園内のハニワ工場館

斜面にドーム型の建屋が作られていますが、これは登窯(ノボリガマ)跡に覆いをつけたもの_

(↑狛犬のように 犬と猪が守る入口)
内部では 発掘された「埴輪窯(ハニワヨウ)」が公開されていました。

傾斜、しているのわかりましょうか? / 下が火の焚き口、 一番上は「煙出(ケムダシ)」。 当然当時は土の覆いがついた チューブ状の窯だったと思われます。(この後公園内で 外観が再現された物も見ました)

窯内は右半分を削って 地層が見られるようになっていました。 (+削り取られた方、は 高槻市立今城塚古代歴史館の館内に展示されていました。)

そうなんです、何度も 焼いては埋め 焼いては埋め と使っている窯なので 炭の地層 が出来ており 「何回使われた窯か」「何年から何年まで使われた窯か」 がわかるんです。又焼かれた埴輪の破片なども出土しており、そのオカゲで 〇〇古墳の埴輪が焼かれたのはここ~ と知る事ができるんですねー。

(↓地層に番号が振られていますー。えー ここは10回使われた窯 / 530年頃から20年程稼働、焼かれた埴輪は今城塚古墳に納められているそう)

時にここは「18号 ハニワ窯(ヨウ)」。(18基出土した窯跡のうち 一番北、に当たります。)

(↑ヨケイナお世話かもですが この図、横向きの方がわかりやすかったのじゃ)

1~17号 って どうなってるのかな? と思ったら それらもちゃんと保存されていましたー。(後で見に行きまーす)

↓これは 発見当時の遺跡(ハニワ工場)ですね?

(↑溝が窯跡 点々と柱跡が見える所は工房跡)
↓発掘当時の現地説明会かな?

↓航空写真。この遺跡が (左下の)継体天皇陵にも (右中程の)今城塚古墳にも近く、ハニワの供給地として適していた事がわかります。


館内には他にも出土した埴輪の写真やー

パネル

出土品、

動画再生機が置かれていました。



この後は斜面にならぶ他の窯跡、丘の上の埴輪工房跡などを見ました~

つづく



<+>
この公園がある場所の地名は「上土室(カミハムロ)」、南は「土室町(ハムロチョウ)」です。焼き物に適した良い粘土が採れたのかなー?
<++>
Wikiに 「一帯は『日本書紀』欽明天皇23年条にある『摂津国三嶋郡植廬(ハニイホ)新羅人之先祖也』と考えられている。」とあり、「へー」。 (野見宿祢ら土師氏と 新羅って関係あるのかなー? そういえば野見宿祢が垂仁天皇から頂いた土地に入った、という カタノへの入植者達は 自分達が信仰する神として素戔嗚命を祀っているけど(片坐神社) その素戔嗚は新羅のソシモリから来た事になってるしー・・・えーと・・・)