

(↑この先が昔の「天神の馬場」_ 天王山の戦いで秀吉が陣を敷いた所、ですね?)
左折すると、切通しになってました。

この切通しは車道を通すために近年作られたもの。右手に見える「昼神(ヒルガミ)車塚古墳」は 元々は天神さんのある「日神山(ヒルガミヤマ)」と繋がっていたそうです。 (と、野身神社前の説明板にありましたから。因みに_ 山の名は「日神」、古墳の名は「昼神」、ですがどちらも読みは「ヒルガミ」。)
時に_
「車塚」という古墳名は、一種「ありふれて」いるんです。 例えば淀川の対岸に位置する枚方市にもある。枚方市のものも 車塚 だけではどこの古墳かわからないので「牧野車塚古墳」「禁野(キンヤ)車塚古墳」と 頭に地名が冠されています。
ググったらWikiに「車塚古墳」という一項目までありましたー。因みにいずれの「車塚」も小ぶりの前方後円墳みたいですね?「へー」
(車って古墳時代には無かったろうから この呼称は後づけでしょうね?)
坂を上りきったところ。古墳の北の面を見ています。

↓説明板。

昼神車塚古墳も「前方後円墳」なんだ。
↓説明板から 図の部分。(南が「後円」のようですね?)


↑元からあった山、に盛り土をして作った古墳。テラスと呼ばれる平らな部分には埴輪が並べられていた、といいます。/ フェンス越しに (埴輪の)レプリカが見られたらしいのですが・・・ 残念気づきませんでしたー。 (画像検索してみました~)
↓代わりに私が見てたのは足元に落ちてたヤマモモ・・・。


↑あ、 あの木から降ってきたのねー?と見上げたりー・・・。(しかし埴輪には気づかなかった)
天神さんのある日神山(ヒルガミヤマ)の縁を北へ上がります。 天神さんの北側にある「乾性寺」というお寺を訪ねてみようと思ってー。

しばらく バベの木の生垣が続く道を行きました。


なかなか お寺へ通じる 山への道が現れません。


やっと左手に道が現れました。素朴な切通しの道です。

ん?右へ曲がると伊勢寺?

あ、左へ曲がると乾性寺、ですって。

道なりに行くと・・・

行き止まり?

いや ガレージの横の細い道を行くのだ。

・・・資材置き場?

心細くなってきた頃 ぽん、と手すりのついた参道に出ました。

階段を上りきったところに_ ありましたー 乾性寺!

公式HP「乾性寺」
↓説明板。/ 山号は加賀山。1619年に創建された日蓮宗のお寺。(今年創建400年なんですね? おめでとうございます。)

観光客が入れるようなお寺ではなく、拝見したのはこの門だけ、ですがー 春は門の奥の梅が美しいといいます。
又、ここには妙見堂があるそうです。現在の建屋は新しい物と聞きますが、
ちょっと見てみたかったなー。矢筈十字が強調されてるのかなー、とか。。。
(戦国時代、クリスチャン大名の影響で 能勢や摂津の領民の多くがキリスト教徒になったといいます。が後にキリスト教は禁教に。
能勢のキリスト教徒達は 領主・能勢頼次により強制的に日蓮宗に改宗させられたそうですが (いわゆる「能勢のいやいや法華」)、 その時 元クリスチャン達は「これからは この十字を拝め」 と妙見さんの「矢筈十字」を示された、のですって。
で、もしかして高槻の「元クリスチャン」達も 矢筈十字に手を合わせたのかなー? と思いましてー。)))
さて では戻って参りましょう。

いえ 来た道(徒な回り道) を戻った訳ではありませんよ?

来しな どこにお寺への上り口があったのか見たかったしー。
↓え? ここを入るんだったの? (お寺への案内無し、の細い道ー)

これからいらっしゃる方は↑この 「手すり」を目当てにお参り下さいね^^;) (いや もっと別に道があったのかもしれないーーー)
ともあれ こんなのが 天神さんのある「日神山」の周辺~ でございました。

↑おまけの マンホールの蓋。/ 描かれているのは「摂津峡」ですって。
今回貼った絵が少ないので お賑やかしに以前歩いた摂津峡の絵を リブログ で↓
(↑マンホールの蓋の絵と あまりに違ってて申し訳ないのですが~~~)