上宮天満宮(ジョウグウテンマングウ)本殿 / 追記あり | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

摂社・野身神社へ挨拶した後は_
参道に戻り 上宮天満宮本殿へお参りいたしましょう。

脇にあった由緒書の板と境内案内図。

↓由緒書部分。

御祭神は 武日照命(タケヒナテルノミコト) 野身宿祢命(ノミノスクネノミコト) 菅原道真命(スガワラノミチザネノミコト)
由緒をラフに記すと_
天孫の末 野身宿祢が率いた土師氏 そこから分かれた菅原氏に菅原道真公が生れる(845年)。道真公は右大臣にまでなりながら 讒訴によって九州は大宰府へ左遷され(901年) 失意の内にそこで亡くなり安楽寺に葬られる(903年)。
が、道真公の死後 都では異変が相次ぐ。 原因は道真公の怒りにあると考えた朝廷は 
919年に 醍醐天皇の勅により 道真公の墓所の上に「安楽寺天満宮(現・太宰府天満宮)」を建立するが 道真公の怒りは収まらずー・・・
947年に 京都は北野に 朝日寺を神宮寺とする社殿を建立。(現・北野天満宮)

そして994年5月に「正一位左大臣」の位を遺贈。

この時 一条天皇の勅使として菅原為理(タメマサ←道真の玄孫)が大宰府へ赴いていますが その帰り、芥川を遡って上田部(現・市役所西)に上陸し 領主:近藤氏の館に泊まると~
 出立、の時に輿が動かない。(輿ではなく牛車、とする本が多いのですが、本家では「輿」と記されている、というのは 覚えておきたいですね?) 
 為理はこれを「(道真の御魂が示す) 先祖と共に留まりたい という霊意」と拝察して 菅原氏の祖神を祀る「野身神社」の建つ日神山(ヒルガミヤマ)の上に天満宮を造営し (現祭神)三神を併祭した。 が実際の創建はこれより50年早く、 (←この部分 祖神社としての「野身神社」の事をさしてるのかな?と思ったのですが 野身神社は927年に書かれた神明帳に既に載ってるんですよね。「50年早く~」というと 944年頃の創建、になるから 違うねー? / 山上に社殿はなくとも この地ですでに944年頃から道真公に対する奉斎があった~ という事かなー?) 北野天満宮よりも古い 「全国天神社のうち (大宰府に次ぐ) 二番目の古社」とされている_ のだそう。

へ~。

又、
戦国時代の末の 天王山の戦の折には、「天神馬場」(←現・JR高槻駅から北に伸びる天神さんへの参道。かつては松並木があり 「天神の馬場」と呼ばれていたといいます) に秀吉が陣を敷いている。明智勢を討てた事に感謝し 秀吉は社殿を修造。が その社殿は1996年に焼失。(少年達による放火とか) ですって。/ 大変残念。

↓境内案内図。


では社殿の方へー。


(広さと緑の豊かさに驚きながら歩いてましたー)

手水舎。

青銅でできた「竹」の吐水口。


更に行くと_

↓神具庫 と 絵馬殿 。

↓も一つ奥に神輿蔵。


↑そばにあった説明板。「上田辺町(カミタナベチョウ)と天神さん - 深いつながりの歴史です -」
昔_ 天満宮の南 現在の「下田部町(シモタナベチョウ)」あたりまでの一帯は 皇室の御料田を工作する田部氏が治めており、天満宮とは「氏神・氏子」の関係にあった。夏祭には 上田辺町の御旅所を経て 下田部天満宮(←江戸時代に上宮天満宮から分霊された神社)まで神輿行列が続いた時代もあった。
が平成27年(2015)に(上田辺町の)御旅所の地(上宮天満宮のHPによると 社有地だったそう) が返還(誰に?)(←「神社に」/ 尚御旅所は 現在は駐車場になっているとの事。コメント欄で教えて下さった芥月さんに感謝します。2023.04.26)された。(HPによると この時 御旅所にあった石碑が天満宮に移されたそうです、説明板の左手にあるのが その石碑のようですね?)
上田辺町からは本神輿+子供神輿が寄進され、神輿蔵に納められた。/ 蔵は大改修され 古くからの地域の信仰と想い出の場所として公開 見学も可能となった。 // のですって。


神輿蔵の向かいには 社務所。

その隣に御霊屋。


正面に割拝殿(ワリハイデン)。


左の西拝殿内には 百人一首の絵札のような額が掛かっていました。(道真さんも歌人として有名ですもんねー)

東拝殿内には絵巻物の一部(?)が描かれた衝立。


拝殿を抜けると ぽん と本殿前に出ました。

左右には絵馬掛け。

(合格祈願が書かれた物が どっさり。/ どっさり過ぎてでしょう 上に、一年を経過した物は 外してお焚き上げさせて頂きます~ という「絵馬はずし」のことわり書きがありました。)

石の撫で牛さんもいた。


おや、この狛犬の顔はユニークだなあ。

古色を帯ているから 先の火災でも傷つかなかった「元」からいる狛犬さん達だね? (無事で良かったねえ)

近くに説明板があった。

へ~ 「本殿左右一対の狛犬は 宝暦9年11月(1759年)に芥川在の石大工、西田新九郎正義により作られたもので、高槻市内最古のものである。(中略)この作品は、浪速狛犬と総称される関西圏の多くのものの内、獅子舞の獅子頭に似た四角い顔と 毛筋をハッキリ表現した新しいデザインにより 上宮型狛犬(ジョウグウガタコマイヌ) として主流となった。(後略)」 ですって!
(尾 に「長扇」だの「松明」だのってスタイル名がある、ことにも びっくり)

社殿。

本殿前の拝所には 鈴が五つ。(参拝者が多いのでしょうね)

拝所の上の扁額に社号。/ 本殿の扉に立体的な梅紋。// あら、軒に竹が使われてる?

いや 軒だけじゃなく 屋根が竹葺きだ!


びっくりぽん!(←とっくに古い?)

垣に説明板があった。
↓「竹の本殿」ですって。

「この建物は 柱、壁、屋根の殆どが竹で作られております。」 へ~っ。


本殿の東側には梅園がありました。/花の頃はきっと さぞかし。

↑囲いのロープに「廻り道をしませんか・・・」と書かれたプレートが。/ そうね、末社にも挨拶していきましょう。
↓まず「皇大神社」

↓「春日神社」。

↓その先に「厳島神社」。

厳島神社は 空池の中の島 にあったのですが、池 部分には花卉が並んでおり ちょっと不思議系庭園 って感じでしたよー。


本殿の裏、には~

「守護天神」という建屋が。/何でしょう?

近づいてみるとお賽銭箱の上に三匹の猫がいました。

小泉武寛さんの作品、だそう。(あら、親子の猫でしたかー 両親と子? 母と子供達かな?)

で、ここは_
「ねこ、いぬ、ことり・・・ など、いわゆるペットとして人間の生活に深く関わってきた小動物を守り 祀る神社」だそうです。

(隅に置かれていたのはキャットフードだった、かもー。)

その先に四社殿。

↑左から 日吉社 金毘羅社 稲荷社 荒神社。


では おいとまいたしましょう。

ありがとうございました。


この後は 天満宮の南に接する 昼神車塚古墳(ヒルガミクルマヅカコフン)の方へ~。 / つづく




<追記 2023.04.26>
コメント欄で芥月さんが教えて下さった 天神さんの御旅所の現在地をストリートビューで見ると_


↑現在はコインパーキングになっているのがわかりました。
↓更に2014年8月にはまだ「本郷公民館」が建っていたのも確認できました。

更に、更に、
↓2010年3月のストリートビューでは奥(南側)に 「石碑」が立っているのも見る事ができました。


(↑多分これが 境内に移された石碑 でしょうね?)

本文中に打った「平成27年(2015)に 御旅所の地が神社に返還された~」部分の状況がわかり すっきり^^)/ 教えて下さった芥月さんに感謝。