旧外国人居留地の川口教会(聖公会) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

ゑんどうさんで たらふくお寿司を食べた後は_
川口(カワグチ)の旧居留地の方へ行ってみました。 大阪の「生きた建築ミュージアム」に登録されている 聖公会の教会を見てみたくて。

(↑中央卸売市場の 青果市場(3F)へ上がるランプウェイの下を潜ってます。/ 因みにランプウェイの下は喫煙所になっていて 喫煙者の亭主は「あ、いい所がある」と喜び さっそく一服つけさせてもらってました・・・)

安治川(アジガワ)のほとり_。対岸に先日食事した「中之島漁港」(←ショップ兼飲食店名)の白い建屋が見えました。


↓川上側を見たところ_

クルーザーや水上レストランになってるボートが係留されてて ちょっとリッチな雰囲気~。


大阪にこんなエリアがあったって 知りませんでしたー。。。


話ちょっとそれるけど、
船津橋の北詰で~
↓花をつけたナンキンハゼを見ました。(こんな花なんだー!/ ちなみに見た目はかわいいのに 結構珍妙なニオイがしました^^;)


さて、船津橋、端建蔵橋(ハタテクラバシ)、と渡って 旧・大阪外国人居留地:川口エリアへ入りましょう。

只今中之島の先端 通過中ー。

振り返って見た中央卸売市場。


川口に渡って道なりに行くと_

「大船手会所跡」と彫られた石柱がありました。

何だろう?(とりあえず江戸時代の物らしい~ とはわかるけれど)
↓横に説明板があった。

「大坂船手会所跡
 大坂船手は、大阪湾から木津川・淀川への船舶の出入を管理・掌握することと、大阪湾に停泊している船舶を掌握することを職務とする 江戸幕府の役職で、 元和6年(1620)に設立された。その中心施設がこの地に置かれた船手会所である。配下の施設として、船の出入りの管理を実際に行う船番所が、開所の北側と春日出、三軒家の三個所に置かれた。また、船蔵が開所の脇と四貫島(千鳥橋付近)にあった。
 18世紀代には船手頭が小豆島などの代官を兼ねることもあり、大坂における幕府の重要な役職のひとつであった。
 元治元年(1864)に廃された。(←軍艦奉行の勝海舟の提言によって。そして跡地が外国人居留地となり 船手で働いていた船乗達は 海舟が頭取になっていた「神戸海軍操練所」に転属~・・・ (そして更にその神戸海軍操練所周囲も外国人居留地となっていくのであった~))」

上のプレートの図がわかりにくいので 元図 と思われる文政年間の「摂州大全図」を貼ります。(文政の頃すでに大は「大」と書かれていたんですねー?)

↓拡大図部分の向きを(プレートの図に合わせて 左が北 に)修正。

(↑という訳で上のプレートの丸の中に描かれているのは「御舟蔵」「御舟手ヤシキ」です。/ この図で「富島」が江戸時代には「大佛島」だった事もわかりますね?
 時にこの「ストライクマーク」の様な印は何でしょう? この印、他の川辺の沢山の建物にもついてるんですがー)


1ブロック行くとー
↓今度は「川口居留地跡」の碑がありました。


「慶應4年7月29日(1868.9.15)居留地26区画が外国人に競売され、大阪川口居留地の歴史が始まった。 居留地に接する 本田・富島・古島・梅本町も外国人雑居地となった。 毎時19年(1886)には10区画の増設があり。明治32年(1899)7月に居留地が撤廃されるまで、この付近は洋館や教会・学校などが並び。各国人が散策するなど、大阪の文明開化を象徴する場所として、異国情緒豊かな雰囲気を漂わせていた。
 上図は居留地の建物の推定復元であるが、必ずしも同年代ではない。碑の位置は雑居地の場所にある。」
↓図、の部分。


↑図、の部分の 現在。 ( あ、もしかして図に描かれている三角の切妻屋根の建屋は聖公会の教会? でも現在の聖公会川口基督教会は1920年に建てられたもの。絵の雰囲気はそれよりもうちょっと古いようなー。 切妻屋根~ は1881年に建てられた先代の教会かもしれませんね?)

碑のある場所から 東を向くと聖公会の教会が見えました。

行ってみましょう。

方形のキープが「聖公会~」って感じですね?

塔の南に入口。

しかし 教会堂への入り口は 西に向いて開いた こちら、でした。

「日本聖公会 川口基督教会」と記されたプレートがはまっています。

その下には_

「生きた建築ミュージアム 大阪セレクション」「登録有形文化財」のプレートも。

見られるのはここまで、と思って来たのですがー

どうぞご自由に中でお祈りを。というメッセージが。

ええー・・・ それじゃあ お言葉に甘えてー。

↑感謝して献金箱にお金を入れ、
↓北の戸口から中へ。

素朴な木の梁。アメリカ人の建築家が建てた教会だそうですが 雰囲気はイギリスっぽいですね?

えええっと 「お祈り」。
(天使祝詞を唱えました)

三連のアーチ窓(トリフォラ)には花が描かれていました。

正面の組紐風のIHS(←ギリシャ語でイエス)、なんだかケルティック。

正面の三連窓のステンドグラスには 沢山の十字が描かれていました。


振り返るとー

二階席の後ろにはイエス様が。

(未来的~)

パイプオルガン。

譜面台に記録ノート が置かれていました。(何だろう? オルガニスタさんが 次のお当番の人の為に「今日お礼拝で弾いた曲」を記しておく~ とか? 曲が重ならないようにー)))


退出しようとして 1995年の震災の時のパネルに気づきました。

えーっ 塔、半分折れたんですね!屋根も落ちてる・・・。/ 今あるのは復元なった姿だったんだ。(皆さんのご苦労に合掌)


教会の東の通りの建物ー

大大阪時代の物でしょうか 瀟洒な雰囲気が漂っています。




テイストも揃っていますから 同じ人がデザインした~ んでしょうね?


古き良き時代の雰囲気が残るこのエリア、これからも大切にされていくといいな、 と思いましたー。 / おしまい。