ロープウェーで岩国城へ | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

ロープウェーでお城のある横山へ上がりましょう。

(セット券にはお城拝観券だけでなくロープウェー往復券も含まれているのです)



ゴンドラが動き出すと、色んな物が目に飛び込んでくる。
↓お堀の角に錦雲閣。

↓「行き止まり」だと変な勘違いしてた噴水。

↓錦帯橋。

もう一機とすれちがい。

程なく山上に到着しました。

↓「山頂駅」。

おー 海が見える!


ではお城へ行ってみましょう。(選べる2ルートの内、 行きは勾配のゆるい車道の方を選択ー)

結構「鬱蒼」とした林の中の道を進むと・・・、

井戸があった。

大釣井(オオツルイ)ですって。(釣瓶がついた井戸だったんですかね? 因みに谷筋を下った所に「小釣井」もあるそうな)

へー いざという時には脱出口としても使える井戸、ですかー。/岩国城が築城された時代(1609年、1608年と記されている物も)には まだ城は権威の象徴というより戦のための施設 だったんですね?

少し行くと石垣が見えてきました。(後で知りましたが これが元々の天守台、だそう)

石垣をぐるりと回るとー

ハーフティンバーの家のように 下の階より上の階の方が広い、張り出し(jetty)を持つユニークなフォルムの岩国城が建っていました。(南蛮造っていうそうなー。)

今見ても斬新ですが 当時は「どんだけー」なお城だった事でしょう。



が、岩国城は築城(1608年)からわずか7年後の1615年、幕府の「一国一城令」のため「破却」されてしまいます・・・。(岩国は長州藩の 一部 と数えられたんですね。又藩主吉川氏も大名とみなしてもらえず あくまでも毛利家の「家来」の扱いだった といいます。岩国藩の表向きの石高「三万石」も長州藩の「内高」でしたー、後に改善されますが、毛利家との間には長く「確執」が・・・(後略))

今建つお城は 保管されてきた「岩国城天守閣断面図」を基に、昭和37年(1962年)に再建されたものだそうです。
もっとも_ 鉄筋コンクリート製、ですが。(そして、 元々の天守台跡より少し南に建てられた_。川から見えるように、とか。)

内部には武具や化粧道具 写真等が展示されていました。



最上階は展望室。

素晴らしい眺めでしたよ。

(↓藤生(フジュウ)にある中電・岩国発電所の煙突)

(↓お城の屋根と城下町)

(↓錦帯橋)


さて、では戻って参りましょう。

今度は ロープウェー乗り場まで 古い 元の道を歩きます。


この道を 昔の人はどうやって通ったんでしょうね? 馬、かなあ? 歩いたのかしらー?



ロープウェー山頂駅に着いた。

ロープウェーは さっき出たばかり。少し待ちましょう。


お?3時5分前。いきなりからくり時計から「美しき天然」が流れ始めました。(懐かしく又 物悲しい調ー)

(鵜の載る半球 その上の鵜飼い船も回っていた、 たしか・・・)
なんでも美しき天然の作曲者:田中穂積が岩国の人で 業績功績を称えて~ という事のよう。
(時間が3時5分前、なのは 3時丁度だとロープウェーの発車時間と重なって 人々が音楽を聴かないから、とか? 多分他の時間もX時丁度ではなく X時5分前 に音楽が流れ始めるのではなかろうか と思いましたです。)

ロープウェーへの乗車が始まりました。

そして3時丁度に発車。

続いては吉川氏の祖霊を祀る 吉香神社へ行ってみましたー。