松江城山(ジョウザン)稲荷(ホーランエンヤ、スタート地点) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

神代(カミヨ)そばでお昼を食べた後は 堀内の「城内稲荷神社」へ向かいました。(翌朝始まるお祭「ホーランエンヤ」の渡御(トギョ)のスタート地点です)


お城の北の坂を上っていくと_

赤い鳥居が現れます。ここが境内入口。

↓鳥居の横の説明板。

「小泉八雲は通勤途上に散歩がてら、ここ城山稲荷神社に立ち寄った。」←これは、お城の南に職場「旧制松江中学」、お城の北に住まいがあって、松江城がちょうど通り道になっていた、というのもあると思うんですけどね。がともかく ここの石の狐達や 狐が刷られた火伏の御札 は彼の興味や関心をひいたもようー。
『知られぬ日本の面影』には 御札について「この御札は 城内のお城山の稲荷さまからいただいたもので、防火の護符である。実際、木造建築に関する限り、これらの護符は、松江で唯一の防火設備である。」と記されているそうな^^;)

鳥居を一つ又一つと潜っていきます。

説明板が並んでいます。

↓ホーランエンヤについての物。

(次回は令和11年5月下旬、ですってー / 時にここには書かれていませんが「ホーランエンヤ」という祭の通称は 「豊来栄弥」或は「宝来遠弥」という かけごえ から と考えられているそう。)

↓境内案内図。

(↑見どころ も書かれてます)

更に行きます。

手水舎の向こうに石段。

手を清めましょう。

明日はお祭り_ 御神輿が運ばれる石段がお掃除されてました。


随神門。/ 幕や提灯には葵の紋。(神社を創建したのが松平家なので)

門の前には まだ新しい阿吽の狐。 (ちなみに 先代の狐は ラフカディオ・ハーンが愛した狐 として知られています。/ 後で見に行きましょう。)

門の先に拝殿。

扁額は二枚。右「稲荷神社」、左「若宮八幡」。(1638年に松江へ移封された藩主:松平直政が 入国の翌年に、元々あった八幡様(初代藩主:堀尾氏が築城の際 守護神として祀っていたところの_)と 自分が信仰していたお稲荷さんを合祀した~ のだそうです。)


という訳で 御祭神は 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ=お稲荷さん=穀物神)と 誉田別尊(ホンダワケノミコト=八幡神)の二柱。

さて_
1643年 天候不順で凶作が予想されます。藩主:松平直政は 日頃から信仰していた稲荷神を 中海の近くの阿太加夜(アダカヤ)神社へ舟でお連れし 神主に五穀豊穣の祈祷を行わせました。 / これが今日まで続く「ホーランエンヤ」の始まり~ とか。

授与所の向かい 衆参殿の小壁上には 前回(10年前)のホーランエンヤの写真が沢山貼られていました。


社殿北には こんな物がー。

↑藩主が用いたという御供竈。(藩主が直々に御供(ゴク)を炊いてたんですね)
↓その向こうに摂社。

(↑左が「金刀比羅(コトヒラ)神社」。右は「稲荷+熊野+推恵(スイケイ)神社」。)
↓更にその向こうに_随神門にいた狐の先代、ハーンお気に入りの狐達。

ほほえんだ感じの かわいい狐さん^^)



その先には荒神(コウジン)さん。

(松江あたりの神社には ほぼ必ず、木に藁をなった綱を蛇のように巻き御幣を立てた 荒神さん を祀る場所があります)

荒神さんの南は 稲荷社の神殿部です。

(↑屋根の千木は男千木(オチギ)。男千木は出雲では「男神の社」を示します。 お稲荷さんは大抵女神様ですが 松江のお稲荷さんは男なんですよー。それも若くてハンサムな^^ 詳しくはこちらでどうぞ⇒

神殿部の裏へ回ると、小さな狐の像が沢山並んでいます。



社殿の西の 少し外れには_

赤い鳥居を持つ小さな石の祠があります。

説明板が見つからなかったのだけど 稲荷社でしょうね?

(旧社地とか奥の院みたいな存在なのかしらー??? 境内案内図にも何も書かれていません・・・)

神殿部の南を回ってー

再び随神門前に。

退出いたします。

道なりに進むと_

堀に渡された木の橋に出ます。

(↑橋自体は 普通の木橋ですが これが「車道」というのは結構スゴイんじゃないかな?と思いますー)

今のホーランエンヤでは 御神輿はこの橋を渡って大橋川で舟に載せられますがー

昔は堀から舟に乗った~ といいますから ↓ もしかしたら こんなところからお堀へ下りたのかしらー?


堀の縁を歩いて、お城の東の 遊覧船発着場まで来ました。

↑昔のホーランエンヤの舟渡御に使われていたのは だいたいこの大きさの小舟だったよう。
ですが_
今はもう少し大きな舟が使われているんですよ?

詳しくは次の項でー。