小浜西組(古い家並の残るエリア)散策の途中_
山側に「瀧天満宮」という扁額が掛かる鳥居があったので、丹後街道からそれて 寄ってみる事にしました。
道なりに行くとJRの線路のすぐ下に その神社はありました。
社はそんなに大きくありませんが 唐破風の上の瓦や軒下の木彫など なかなか見事。
前が拝殿 後ろが神殿、ですが半一体化 というか ユニットになってる感じ。
左奥にはお稲荷さん。
その後ろに 立派な石段があったのですが、線路の前で ふつり と途切れていました。
(↑石段の上にチラと見えているのは常高寺というお寺の門。)
元々はこの石段を上がって常高寺へお参りしていたようですが、線路で参道が分断されてしまったんですねー。
MAP
・・・という訳で、来た道を引き返し、線路の下を潜って 常高寺の方へ行く事に。
↓あら、あれは?
斜面地に作られた張り出しに祀られていたのは「瀧不動尊」でした。
(覆い屋の中に祠)
(↑あ、扁額が二枚掛かってますね?一緒に他の仏様も祀られていたのでしょうか・・・)))
祠の前から線路の方を振り返って見たところ。
お不動さんの祠の脇に 「瀧の水」と呼ばれる 山からのしみ水の 屋根付き水汲み場がありました。
石の樋の向こうには「化粧地蔵」さん達。
(↓「瀧の水」と刻まれた石)
↓名水「滝の水」由来。
(へー この水で作ったお酒は 唐へ持っていっても味が変わらなかった、 かあー)
金毘羅さんの祠の前を通り
坂を上がります。
常高寺の門の前に出ました。
近くにあった境内図。
常高寺は、1630年に浅井三姉妹の次女お初:常高院が 夫_小浜藩初代藩主:京極高次や両親(浅井長政+お市の方)の菩提を弔うために建てた臨済宗のお寺。 1633年に亡くなった常高院自身も ここに葬られています。
門から境内を覗ってみるとー
意外に新しそうな本堂が見えました。
本堂は1923年に焼失していたのです・・・。(+1963年には山門も焼失)))/ 今ある建屋は2001年に再建されたもの、とか。
斜面地には桜や五月が植えられていました。庭石らしい岩も見えます。名家の菩提寺に相応しいお庭があったのかなー?
門の前を通る道の向こうに線路。(小浜線)
↑線路の先にはさっき見た「石段」があるはず。/ あ、先の方に「門」が見える。 という事は 正面の道が参道で それに面して並んでいるお寺は塔頭? (調べてみると ややこしい話を拾ってしまったので この話は後でー)))
さて、来た道を戻りましょう。
<シーン抜け>
↓丹後街道沿いの「門」から 常高寺方向を見たところ。(正面奥に 石段+常高寺の門)
門を潜ると_
左手に東光寺、
右手に栖雲寺(セイウンジ) がありました。
実は栖雲寺と東光寺は 室町時代には 今 常高寺が建つ場所に並んで建っていた、のですって。/ 京極高次の死後、常高院(=お初)が常高寺を栖雲寺境内地に建立。栖雲寺+東光寺は現在地に再建されて今日に至っている~ようです。
この後は 丹後街道に戻り、西組散策を続けましたー。
(↑正面奥に チラ っと海)
5/3の「重要伝統的建造物群保存地区「小浜西組」」に続きます。