向源寺(コウゲンジ)と 渡岸寺(ドウガンジ)観音堂 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

さて、高月町(タカツキチョウ) 渡岸寺(ドウガンジ ←地名)へやってきました。

駐車場に車を置いて、国宝の十一面観音像がある向源寺(コウゲンジ←お寺の名前)へ向かいます。
↓近くにあったMAP。「観音の里 / 長浜市高月町」ですって。


道脇では 美味しそうな川魚のお寿司が売られてます。

道の反対側は用水路。雨のせいか 田植えのためか 水量「多め!」でした。


あら、この木 注連縄が張られてます。特別な木なのかな?


↓そばにあった説明板。「野神さん(ご神木)」

すると この木は「野神さん」なんですね?

更に行くと_

路上にこんなプレートが。

北へ100mの所にあるという観音堂が 私達が目指している場所、らしい。

って、目の前がすでにお寺の境内のようなんですがー?

↑参道脇に「国宝観世音」と刻まれた石柱。

小さな川の先に仁王門。

仁王さん達。



門を潜ると 左手に手水舎。正面に本堂。

手を清めましょう。

(↑手水鉢には「洗心」の文字)
受付で拝観料を納めます。

頂いた拝観券。/ 「渡岸寺観音堂(向源寺)」 (上でも打ってますが 渡岸寺が地名で 向源寺が寺の名。/ 向源寺に所属している 「渡岸寺観音堂」なんですね^^;)


本堂へお参りします。

えー こちらは慈雲山向源寺。真宗大谷派のお寺で 堂内の本尊は(真宗だから当然)阿弥陀如来です。

が、こちら元々は慈雲山光眼寺(コウゲンジ)という天台宗のお寺で 本尊は泰澄(タイチョウ)が彫ったと伝わる十一面観音だったそうです。 
が、戦国時代_ 姉川の戦で お寺は焼失。その時の住職:巧円は 本尊を地中に埋めて火から守っていますが、寺領を没収され・・・
(なんと!)真宗に宗旨変えして 光眼寺(コウゲンジ)を廃寺とし 向源寺(コウゲンジ)を建立。(因みに山号はそのまま。) そして(かつての本尊仏である)十一面観音は「飛び地境内の観音堂に安置する」という事で 本山から許可をもらっています。(真宗では観音像を本堂に置けないから)
こうして(多分ひっそりと)守られてきた十一面観音は、明治になると国宝に。そして 現在にいたる_。

さてでは 十一面観音がおいでの観音堂へ行ってみましょう。(「飛び地境内」にあった観音堂は 今は廊下で本堂と繋がっています。)


撮影禁止なので絵はありませんが_

日本に七体ある国宝の十一面観音像の中でも 人気でいえば一二 という、不思議な魅力をたたえたお像に再会でき(上野の美術館で一度 魂抜きした美術品 としてお目にかかってます) 懐かしく思いました。
が、 てっきり観音堂で厨子内で光背をしょった(美術品ではなく)「仏像」としてのお像を見る事になるのだろうと考えていたのですが ぐるり と周囲を歩き 色んな角度から鑑賞できる~ という ありがたすぎる「(美術展と同じ)展示」形態で、、、 なんだか申し訳ない気持ちがしましたー。

お堂を退出した後で見た「埋伏地」。(巧円和尚が観音像他の仏像を埋めた場所、だそう)

↓そばにあった説明板。

(あら、観音像を埋めた時点で すでにお寺は一向宗(浄土真宗)に転宗していた~ となっています。リーフレットとは異なる内容 どっちが正しいのかしらー)
↓燈籠横に「旧本堂跡」と記された石標。



焼かれたお寺 宗旨変え 守られた十一面観音 国宝・・・。/ 頭がぐるぐるしました。。。



で この後、「サラダパン」を買いにつるやへ行った、んですよー。



いやー 随分UPに時間がかかってしまいましたー。
でもGWの滋賀の旅は まだ終わらないーーー。(もうちょっと続きます^^)