続いて行った 飛鳥宮跡。
↑あの赤い建屋んとこを又右折ー
、、、するべきだったんだけど行き過ぎちゃった。(だって案内標識見えないんですもんー)
でも 道から遺跡は見えたので、 引き返して 目指してた飛鳥宮跡に行く事ができましたよ。
案内板。
「伝 飛鳥板葺宮跡」
この遺跡は 以前私が訪ねた時は 飛鳥板葺宮跡 と呼ばれてました。が、今は 飛鳥宮跡 が正式な遺跡名だそうです。 理由は ここが6世紀から複数の天皇の宮となっており 皇極(後に重祚して斉明)天皇の時代 の宮の呼称 板葺の宮 を用いるのは適当ではない、と考えられるようになったから、だそう。
皇極天皇というと さっき見た亀型石造物のある施設を作らせた女帝。他にも沢山の土木工事をさせていて 民が不満を抱いたー、と日本書紀に載る程の方…。
この宮の造営も 当時の人からは不評だったのかしら?
そうそう、板葺の宮は 蘇我蝦夷に命じて作らせたそうですね?が、出来上がって数年後には乙巳の変がおこり 蝦夷の息子 入鹿が ここで殺されています。 蝦夷は自害。皇極天皇は位を弟に譲る事に。。。
そんな凄惨な事件の現場であり 天皇にとってもアンラッキーな場所、だと思うのに 10年後、重祚して斉明天皇となった彼女は又この板葺の宮に戻っています。 結構、、、強い方だったの かしら?
この後は 岡寺へ上がってみました。/つづく