亀形石造物遺構 | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

つづいては 亀形石造物遺構を見に「酒船石遺跡」へ。

山の中の酒船石は以前から知られていましたが 2000年に北側の麓で 亀の形 小判の形の 水を受けたらしい石が見つかったんですよねー。

発見された遺構は 「調査終了後埋め戻される」 と聞き、「その前に見ねば!」と当時6年生だった息子とこの遺跡を訪ねたんですよー。が、「埋め戻さないで」という多くの声に動かされ 遺存が良好な「天武天皇時代前後」の状態で保存される事にー。 よかったよかった。(この遺跡は 斉明天皇以降 数代に渡って利用されており どの時代の状態で保存すべきか は難しい問題だったらしいー)

_後年大阪に来て 四天王寺の「亀井堂」で石の亀を見た時 飛鳥の「亀形石造物」+「小判型石造物」の組み合わせにそっくり(正確には上下が逆)で驚きました。きっとこの二箇所の亀には繋がりがあるに違いないと 思ってきましたが、 それ 科学的にも立証されたんですって?
NHKニュース「四天王寺の亀形石槽は飛鳥時代の作か」

↓近くにあった説明板。

では 遺跡に近づいてみましょう。

(北側の斜面地は 土砂が流出しないようシートで覆って保護されています。)





四天王寺の亀井堂では 石亀とその下の受水槽は 戒名を書いた経木を流す仕事をしていますが、飛鳥の石亀はどんな仕事をしていたのかなあー?

(↓「酒船石」はこの先の山の中ー。今回は時間が無くて行ってませんー)

時に 「酒船石」「亀形石造物」 二箇所の石造物は現在「酒船石遺跡」という名前でくくられていますが、 確実に関連があった という証拠は まだ発見されていないそう。
酒船石さえ割られてる位だから(側面にセリ矢で石を割り採った跡が。お城の石垣にでもされたんですかねー)  これから証拠を見つけるのは難しいでしょうけど・・・ 今後の遺構 古文書等の発見に期待したいですね?

(↑あ、 写真は 遺跡から坂を上がった先にあった「万葉文化館」。ここも時間がなくて お訪ねできてませんー^^;)

この後は 飛鳥宮跡 へ行ってみました。/ つづく