飛鳥寺 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

飛鳥坐(アスカニイマス)神社に続いては 飛鳥寺へ行ってみました。

境内のすぐ西_甘樫丘(アマカシノオカ)に住む蘇我馬子(ソガノウマコ)が建てさせた 蘇我氏の氏寺:法興寺が元になっているといいます。
山号は鳥形山(トリガタヤマ)。

現在は真言宗 豊山派(ブザンハ)のお寺で「新西国第九番霊場」「聖徳太子第十一番霊場」となっています。



本堂横の受付で拝観券を求めます。

↓リーフレットに載ってた 創建当時の伽藍。


↑リーフレットの中の写真を撮ったのは 「本堂内では撮影禁止だろう」と思ったから、なのですがー・・・

↓飛鳥寺さんは ふとっぱら(???)で写真撮影OKでした。(但し三脚はダメ)

(平安 鎌倉 と火災にあい そのたび修復されてきたというお像ですが 飛鳥の雰囲気を濃くたたえてますね)

(↑テレビ番組なんかでも観た事ありますが_ 飛鳥の大仏さんは 少し右 を向いてらっしゃいます。(天蓋も 大仏さんの向きに合わせて ちょ っと斜めになってます) 太子が生れた橘寺の方向を見ていらっしゃる~ という説があるそうですが どうなんでしょうね?)

折角なので 平安時代の洗練された美をまとう阿弥陀様とー

室町時代の美麗な聖徳太子十六歳のお像も撮らせて頂きました。


本堂西側の資料室も拝見してー

本堂の南側を回って玄関へ。

_改めて 本堂正面。


南側には池。


西には 思惟殿(観音堂)。

思惟殿前には涅槃の象徴_沙羅の樹がありました。



境内南西の隅には鐘楼。

中に「連打禁止」って札が貼られてました^^;)


西の門から外へ出ます。

正面に甘樫丘(蘇我の屋敷があった場所)が見えます。

元々の「法興寺」時代の西門があった場所の向こうに「入鹿の首塚」があります。

飛鳥の宮で中大兄に殺害された入鹿の遺骸は甘樫丘に運ばれたと言いますから 近くの菩提寺に供養塔があっても不思議はないのですが、 鎌倉時代の歴史書には 百済の僧:恵聡の供養塔と書かれているそうなー。


↓「飛鳥寺西門跡」。


この西門は 中門の前の南門よりも大きかった事がわかっているそうです。(蘇我の屋敷のある甘樫丘側 って事が関係してるのかなー?)

ではもう一度飛鳥寺の境内を通らせてもらって 道へ出ましょう。


この後は 酒船石遺跡へ亀形石造物を見に行きました。

つづく