ウワナベ+コナベ | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

海龍王寺を退出した後は 道なりにまっすぐ北へ上がりました。

住宅地を抜けると
右手にウワナベ古墳、

(↑田起し前の田んぼには蓮華草が一杯~)
左手にコナベ古墳が見えてきます。

正面突当りは 航空自衛隊幹部候補生学校。

敷地内に桜が沢山見えました。

塀の前の説明板。

_この学校は、1957年に山口県防府南基地からここに移転した、のだそうです。 しめくくりの文「当基地は 奈良市内の北部、旧法華寺領内に在り、平城旧跡北東、宇和奈辺、小奈辺両古墳に接し、古代から天平への歴史を伝える多くの史跡に囲まれ 日本人としての感性の陶冶 武人としての修練の場に相応しい環境に恵まれています」の後には 法華寺門主 樋口教香(キョウコウ)さんの「小さな」署名がありました。多分全文この方の揮毫なのでしょう。(決して達筆ではないのだけれど優しく素朴なお人柄の伺える字で ほっこり いたしました。/ 基地という「強い(コワイ)」場所の前に 和らか(ヤワラカ)な門主様の字の案内板を置く_ とっても「いいね!」)

左手のコナベ古墳の方へ行ってみます。「Wiki/ 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「小奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第16代仁徳天皇皇后磐之媛命)として陵墓参考地に治定されている。」ですって。// (でも磐之媛命は宮内庁によって すぐ北の「ヒシアゲ(ヒシャゲとも)古墳」の被葬者に治定されてますよねー?しかも ヒシアゲの方には宮内庁がお参り処も設置してるんですよー???)



(この道の先に「ヒシアゲ古墳」がありますがー そっちへ行くと不退寺が遠くなるので、 今回はここまで。)

引き返して―

(↑航空自衛隊幹部候補生学校の塀)
ウワナベ古墳の方へ。

(↓振り返って見た航空自衛隊幹部候補生学校の敷地)

フェンスの内


ウワナベ古墳_ 「Wiki/実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「宇和奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第16代仁徳天皇皇后八田皇女)として陵墓参考地に治定されている。」ですって。 (本当かどうかはわかりませんが ウワナベ&コナベ には 「この呼び名は ウワナリ(後妻)&コナミ(先妻)から来ている」という説があります。確かに ウワナベの被葬者に推定されている八田皇女は仁徳天皇の「後妻(ウワナリ)」で  磐之媛命は仁徳天皇の「先妻(コナミ)」ですがー はてさて?)





いやいや、大きいねウワナベ古墳。前方部分の前をちょっと歩いただけですが 結構な距離 と感じました。(因みにウワナベ古墳は 古墳の大きさランキングで13位です!)

環濠の南東の隅には 用水路への取水口がありました。(そういえば 南西の隅にもありましたねー)


↓こっちは環濠の南。用水路の始まり部分です。/ 古墳が 農業の役に立ってるというのは なんだか不思議ですが、 もしかして「はるか昔から」こうだったんでしょうか?

↓環濠の堤の上にあった桜の木。

(下は芝地だし お花見にもってこいの木ですね~。)

さて 続いては不退寺(フタイジ)へ。



<よだん>
私は「うわなべ こなべ」を 子供の頃「塔の春」という歌の歌詞で知りました。(NHKの「みんなのうた」で流されてたんですねー) 当時は何の事やらわからなかったのですが 大きくなって古墳の名と知り 「行ってみたい!」場所になりました。/ 今回念願叶ってそばを歩け嬉しく思っています^^)