姫路城天守閣 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

ではいよいよ 天守閣へ。

天守閣内に入ったところ_(ここは地階)

一階へ上がる階段。

(↑幅もゆったりしてますし勾配もそんなにきつくなく 手すりもついてて 「靴の入ったビニール袋」を持った観光客に優しい造りの階段でした。(大抵のお城の階段は勾配がきつく とても片手に荷物持っちゃ上がれませんからねー))

一階。

↓南の窓からは 正面に姫路駅が。眼下の広場は備前丸。(実質的には本丸ですが 本多家時代に備前丸と命名されています。備前へ移った前城主 池田家へのリスペクト? という説も)


西の窓からは 隣の西小天守が見えました。という事は手前の屋根は「水五門(ミズノゴモン)」の物?

(↑奥に西の丸と百間廊下)
ああ これは「ニノ渡櫓(ワタリヤグラ)」で二層になっているんですね。

だから 一層目の下が「水五門」_か。
↓渡櫓へはここから出入りできるみたいでした。

ちょっとこの扉 開けておいてくれればいいのになー。中がどんな風になってるのか知りたかったのですが
↓渡櫓や扉についての説明は特にありませんでしたー・・・


二階へ。

この階の特徴は_

(↑壁についてるのは武具掛け。上の釘には火縄銃の縄などが掛けられていたらしい)
南の窓に「格子」がはまっている事。(南のファサードの唐破風の下の 出格子窓 を内側から見ています)

そして南西に「破風の間」というコーナーがある事。

(↑観光客には丁度いい休憩場所?)
そして「武具庫」がある事。

↓北からは「ロノ渡櫓」(の南側)が見えました。

(屋根の重なりが面白い)
こんなのが二階。


三階へ上がります。

この階の特徴は_

天井が高い事。


階段には踊り場が設けられています。(ってこれは後付けの階段ですが)


四階。

ここには「石打棚」という足場がありました。(四階は 屋根のせいで窓が高くなっています。 外の様子がわからないのは防御の面でまずいと、窓辺へ上がる足場が付けられたらしい)

(↑棚の下の小扉の奥は収納スペースかしら?)
↓棚へ上がる階段。


五階へ。

ここはもう 四か所の階段にフロアーがほぼ使われてる って感じですねー。


次の階段を上ると 六階、天守閣最上階でした。

(↑刑部神社/お城が建つ以前からこの地にあった地主神と言われています。なぜ天守に祀られる事になったか については様々な説がある・・・そうなー)

ここからの眺めは 最高!

↑↓南_姫路駅。

鯱と目があってしまう???


西_ 西の丸と百間廊下。(右手の小山は千姫が信仰していた天神社のある男山)


えー、壁の四隅をご覧下さい。窓が_ありません^^;)

そんなのアタリマエのようですが、実は元々は「全面窓」(360度の展望)が計画されていたのですって。(修復工事時にわかったそうです) 物理的にそれでは安全上問題がある_と気づいたか 最終的には四隅は壁となったようですが よかった というか 残念 というか・・・。

さて 下りて参りましょう。


姫路城天守閣の階段は「上り専用」と「下り専用」になっており、順路も決められています。ですので 「上り」時にしか見られないもの、「下り」時にしか見られないもの、があるんですね。

↓四階の西の窓からの眺め は下りでしか見られない景色。

しかし 『武蔵の妖怪退治』って何? (調べたらお城の三階 四階に 武蔵が登場する伝説があるのがわかりました ⇒ ←お城の公式HP / お城にまつわる色んな話が載せられていますが ついでのおまけで泉鏡花の『天守物語』の紹介もあってよいかも と思いました)

(↑正面は西小天守、右手は乾小天守)
↓(下り時の)四階では 「武者隠し」も見られました。

↓あ こっち ね。

(↑中がどれくらいの広さなのか知りたいなあ / 関係ないけど下の穴から猫が入ってきそう・・・)

一階まで下りました_。
おや、ここから東小天守へ移れるんですね。

(↑二重扉は内側に開く造りで、大天守側からのみ閂が掛けられるようになっています。)
横の窓から外を覗くと 「とノ門」が見えました。(門の向こうは姫路医療センター)

東小天守から 今度は「ロノ渡櫓」へ。

渡櫓内は瓦の展示コーナーになってました。

その先の窓からは・・・
あ、埋門_ 「水三門(ミズノサンモン)」です。という事は私達今乾小天守と西小天守の間の 「ハノ渡櫓」って所にいるのねー?
でー えーと ここはどこー?(水六門を出たとこかな?)

ってな感じで よくわからないままに 外へ出てしまいましたー。


いやいや 想像以上の大迷宮^^;)

(↑備前丸から撮ったお城)

お城見学の後は 実は山陽電鉄で西の終点「網干(アボシ)」へ行ったのですがー

(↑備前門から東の道へ出たところ)

流れ ってものがありますからー・・・
続けては 翌日行った好古園の写真を貼りますー。