(こちらも亭主だけが参拝したお寺、でございます)
続いては真言宗醍醐派大本山 西國寺(サイコクジ)へ。
国道二号線から 山陽本線の線路の下を潜り、浄泉寺横を通って~
道なりに行くと_
山門の前に出ます。
扁額には山号「摩尼山」の文字。
(↑奉納された沢山の 健脚祈願の藁草履。間近で見るとすごい迫力らしい~)
↓案内板
天平年間に行基が開いたと伝わる真言宗のお寺。平安後期には西國一の規模をもつ大寺となるも 平安末期には度々の武士団による侵略で衰退。が、室町時代 守護大名:山名氏の庇護のもと伽藍が整えられていき復興なった~ / そうです。 又(この案内板には載っていませんが)寺名は「西國一の寺」に由来、とか。
境内に入ると~
右手に手水舎。
(優美なデザインですな?)
↓「摩尼山八十八ヶ所 並 十三佛霊場 みちしるべ」
↓参道左手に塔頭:持善院
↓少し行くと今度は右手に金毘羅社。
↓金毘羅社の東隣の金剛院には~
「重軽天狗」なる石の天狗さんがー。(願掛けしながら持ち上げ「軽い」と思えばその願は叶い 「重い」と思えば叶わないー)
(↑ 因みにピンクの敷布の上の三つが 金毘羅さんの眷属「三天狗」。左から カラス天狗 大天狗 小天狗、だそう。)
石段を上がるとー
正面に金堂。
本尊・木造薬師如来坐像(秘仏/重文)が安置されているそうです。
左手に英霊殿。(元・経蔵とか)/ 右奥は加茂明神社。
右手には鐘楼。
更に上に 幾つものお堂があるようです。奥に三重塔も見えます。
あそこまで行ってみよう、と亭主が決意したのが ↓このズーム写真で伺われます^^
まっすぐ北へ上がる石段は竹が渡されており (拝観ルートを定めるためでしょうか)
右手の カギになった緩やかな石段を上って上の曲輪へ。
踊り場から見たらしい景色。
上の曲輪へ到着。
↓南面して建つのは持仏堂。
その西側には東向きに建つ大師堂。
お堂前には 左右に制吐迦+矜羯羅童子を従え火炎を背負った青銅の不動明王。
持仏堂と大師堂の間には毘沙門堂。
この毘沙門堂横の渡り廊下を潜ると 三重塔へ行かれそうですね?(「三重塔参道」という案内板が貼られていますから)
しかし石段を上った先は~
道が崩れており不通でした・・・。
(↑道を塞ぐバーには「危険 がけ崩れのため3重塔へは行けません。」と書かれた札がー)
_という訳で これが精一杯の 一枚 の模様。
で、来た道を引き返した んですね。
石段途中でズームでしまなみ街道の新尾道大橋を撮ってます。
(↑ハープ状に張られたケーブルの下に見える緑の屋根は図書館のもの)
渡り廊下の下を潜って左に折れた羅 毘沙門堂前の石段脇に「力石」が並んでいるのに気づいたよう。
カギになった石段を下りて行きます。
山門が見えてきた。
この後は 二号線へ下りる途中の小路 (お好み焼き ぽんた 前)を西へ行っています。
つづくー。