振り返って随神門を見たところ_。
(↑あの門の40m程先に鳥居があった訳だから・・・八幡様の参道は 本殿前までだと100m以上になりますね~)
軍配燈籠
(↑燈籠の前面の石組にあしらわれた「軍配」が 見所)
鳥居を潜ります。
左に恵比寿神社、一段高い所に稲荷社。奥に見えるのは浄泉寺の大屋根。
右に和霊神社。(祭神は宇和島の伊達家に仕えた山家清兵衛)
石段を上がって ちょ っと振り返ったところ_。
石段を上りきると 右手に百度石がありました。
その向こうに手水舎。
水盤を支えるのは獅子達。
水を注ぐ龍の口。
参道左手にあるのは社務所かな?
社殿の方へ。
猫の威嚇ポーズ(?)の狛犬君達。
拝殿の幕には五七の桐。額には「神威赫々」の文字。
この神社は 正式には「久保 亀山八幡神社」、御祭神は応神天皇。多くの八幡が宇佐八幡の分祀ですが こちらは応神天皇が御在位中に尾道に巡行され 亀の形の丘の上で休まれた場所に里人が祠を建てたのが始まり~ という伝承を持っているそうです。
左に恵比寿神社、一段高い所に稲荷社。奥に見えるのは浄泉寺の大屋根。
右に和霊神社。(祭神は宇和島の伊達家に仕えた山家清兵衛)
石段を上がって ちょ っと振り返ったところ_。
石段を上りきると 右手に百度石がありました。
その向こうに手水舎。
水盤を支えるのは獅子達。
水を注ぐ龍の口。
参道左手にあるのは社務所かな?
社殿の方へ。
猫の威嚇ポーズ(?)の狛犬君達。
拝殿の幕には五七の桐。額には「神威赫々」の文字。
この神社は 正式には「久保 亀山八幡神社」、御祭神は応神天皇。多くの八幡が宇佐八幡の分祀ですが こちらは応神天皇が御在位中に尾道に巡行され 亀の形の丘の上で休まれた場所に里人が祠を建てたのが始まり~ という伝承を持っているそうです。
拝殿横へ回ると 奥にチラと神殿の屋根が見えました。
(↑手前は末社 高良神社・貴船神社)
拝殿西には「力石」がありました。
二つの力石。
亭主は次に 西隣の浄泉寺へ伺い、
続いて その北にある 西國寺(三重塔をお持ちの斜面地のお寺)へ伺っております。
が、私はここで 寺社巡り リタイヤ・・・。宿に戻って休ませてもらいましたー。。。(めんぼくない)
という訳で引き続き載せる「浄泉寺」とそれ以降のお寺の写真は 亭主が見て回った撮ったものですー。(あしからず)
浄泉寺へは 一度国道2号線へ下りてから伺っています。
(↑八幡様の随神門の右手のお寺は尊光寺。浄泉寺と同じく浄土真宗本願寺派のお寺です。ちょっとエキゾチックで個性的な建屋ですね?)↓ここが国道側の入り口。
いきなりトンネル。(こちらも鉄道を通すために参道に手が加えられたのでしょうか?)
境内に入ったところ_。本堂が目の前に!
(遠くからのはっきりそれとわかった浄泉寺の大屋根は、境内からは逆に見にくいんですねー?)
↓本堂前。すごい角度で扁額を見上げてますねー。
↓案内板。
(水盤の頼山陽の筆になる『離垢』の文字、雨受盤を支える天邪鬼、といった見所・・・ ・・・ 見落としてるようです、写真がありません 残念^^;)
線路側に本堂再建記念碑 手水舎がありました。
水盤に水を注ぐのは贔屓。
ちょっと人面系?
その向こうに鐘。
横の説明板によると、この鐘は戦時中の「供出」で外されたそうです。が、幸運にも鋳溶かされずにお寺に戻ってきたそうです。(よかったよかった)
本堂の西には立派な塀に囲まれた一角が。
案内板に載る「広島前田家別荘移築の客殿 清泉閣」でしょうか?
中は伺い知る事ができませんが、 門の上にのぞく唐破風 塀の上にのぞく蘇鉄・・・ きっと「さぞや」な庭と建屋があるのでしょう。
<ちょいオマケ>
境内からは見えにくい 屋根、隣の久保八幡から撮った写真を貼り足します。
本当に 立派!
続いては「西國寺」を見学したようです。(←亭主がー)
(↑手前は末社 高良神社・貴船神社)
拝殿西には「力石」がありました。
二つの力石。
亭主は次に 西隣の浄泉寺へ伺い、
続いて その北にある 西國寺(三重塔をお持ちの斜面地のお寺)へ伺っております。
が、私はここで 寺社巡り リタイヤ・・・。宿に戻って休ませてもらいましたー。。。(めんぼくない)
という訳で引き続き載せる「浄泉寺」とそれ以降のお寺の写真は 亭主が見て回った撮ったものですー。(あしからず)
浄泉寺へは 一度国道2号線へ下りてから伺っています。
(↑八幡様の随神門の右手のお寺は尊光寺。浄泉寺と同じく浄土真宗本願寺派のお寺です。ちょっとエキゾチックで個性的な建屋ですね?)↓ここが国道側の入り口。
いきなりトンネル。(こちらも鉄道を通すために参道に手が加えられたのでしょうか?)
境内に入ったところ_。本堂が目の前に!
(遠くからのはっきりそれとわかった浄泉寺の大屋根は、境内からは逆に見にくいんですねー?)
↓本堂前。すごい角度で扁額を見上げてますねー。
↓案内板。
(水盤の頼山陽の筆になる『離垢』の文字、雨受盤を支える天邪鬼、といった見所・・・ ・・・ 見落としてるようです、写真がありません 残念^^;)
線路側に本堂再建記念碑 手水舎がありました。
水盤に水を注ぐのは贔屓。
ちょっと人面系?
その向こうに鐘。
横の説明板によると、この鐘は戦時中の「供出」で外されたそうです。が、幸運にも鋳溶かされずにお寺に戻ってきたそうです。(よかったよかった)
本堂の西には立派な塀に囲まれた一角が。
案内板に載る「広島前田家別荘移築の客殿 清泉閣」でしょうか?
中は伺い知る事ができませんが、 門の上にのぞく唐破風 塀の上にのぞく蘇鉄・・・ きっと「さぞや」な庭と建屋があるのでしょう。
<ちょいオマケ>
境内からは見えにくい 屋根、隣の久保八幡から撮った写真を貼り足します。
本当に 立派!
続いては「西國寺」を見学したようです。(←亭主がー)