赤留比売命神社(アカルヒメノミコトジンジャ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
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平野郷(ヒラノノゴウ)散策の続き_

「樋之尻口(ヒノシリグチ)地蔵」に続いては赤留比売命神社を訪ねました。


↑柱に「杭全(クマタ)神社 飛地境内 式内」と刻まれています。 / と_今は(大正3年より)杭全神社の末社となっている赤留比売命神社ですが、元は住吉大社の末社で 平安時代の神名帳に「摂津国住吉郡 赤留比売神社」と載る古社だそうです。


(↑手前(本殿北側)の小社は 琴平宮 住吉社)

(↑↓丹塗りの柱を持つ社が神殿部です)

赤留比売命は古事記の応神天皇記に名の見える姫神。/ 応神天皇の母:神功皇后の先祖である天之日矛(アメノヒボコ)が 新羅から日本へ来る事になった原因、が この姫神なのですね。(アカルヒメは 新羅の王子:アメノヒボコの妻でした。が 夫が高圧的なのに怒り「親の国に帰る」と言って難波に渡ってきた。アメノヒボコはそれを追って日本へ~。)

古事記の文面からは「日系神(?)」のように受け取れるアカルヒメですが
神社横の説明板によると~
_創建は定かではないものの祭神は「当地を開発した渡来氏族の氏神」ではないかと考えられている、_そうです。
(+『住吉大社神代記』にアカルヒメは 住吉大神の子神 と載るそうなー/因みに住吉大神とは海の三柱の神々とアメノヒボコの子孫である神功皇后が合わさった神なのですが???)

えー 資料を読む程にわからなくなっていくアカルヒメですが・・・ ともあれここは 遠い遠い昔の 日本と大陸の間に確かにあった交流を示す場所、のようですね?

神社拝殿前_。テントが張られてれていました。

ここは杭全神社の飛び地で、お祭りの折には御神輿の「御旅所」となるのだそうです。

↓手水舎


↑石の水盤に「三十歩(サンジュウブ)大明神」と彫られています。この神社は別名「三十歩神社」とも呼ばれているそうなのですが 
これには_

室町時代に覚証というお坊様が雨乞いに「法華経を三十部読んだら雨が降った~」又 「ここは昔 三十歩と呼ばれる場所だった~」。大まかに二説あるようですね。(余談ながらもし三十歩が「広さ」だとすると99.1736㎡=訳100平米)))

(↑江戸時代の地図に見る「三十歩明神社」。100平米~まではない???)

本殿の南側には、末社_天満宮と稲荷社がありました。/更にその南には浄土宗の櫻井寺が。

(天満宮と琴平社は明治時代に背戸口(←ここより1キロ程西の地区)から移されたといいます)

さて、神殿部は一段高まった場所に建てられているのですが・・・

実はこの 小山 と見える部分はかつての環濠の「土塁」の名残りなのだそうです。

(↑平野公園から見た赤留比売命神社の「後ろ」姿)

色々あれこれ 「へ~っ」!

この後はお祭り初日の杭全神社へ伺いましたよ?

(↓商店街通り抜け中~)

つづくー