
彦根城の西の「埋木舎(ウモレギノヤ)」を案内してもらいました。 (去年亭主と彦根観光に来た時 時間がなくて見られなかった場所ですー)

埋木舎、というのは_後に思いもかけず ”彦根藩主 兼・徳川幕府の大老” となる井伊直弼(因みに彼は父である先代藩主の隠居後に生まれた14男) が 17歳から32歳までの15年間を年300俵の捨扶持(ステブチ)で「部屋住み」として暮らした 城の堀の外の屋敷。/ 埋木舎という屋敷名は直弼自身の命名といいます。 自分を「埋もれ木」=世に出る事の無いもの と自虐的に呼んでいた訳です・・・が、同時に己を鼓舞する気持ちもあって、の呼称と思われます。

↓入口。入館料を払います。(300円)

↓ 時にこちらは現在「大久保家」が個人で所有されている御宅、なのだそうですが、元々は藩の公館。 屋根の瓦には井伊家の「井」の字が。


瓦つながりで貼りますが_
↓この「波に千鳥」の飾り瓦は 直弼の好みであつらえられた物、だそうです。(表門の裏側だったかと思います)

大久保家のプライベートエリア側にはー(↓門の西側になります)

こんな図が彫られた瓦がー。

↑沢瀉(オモダカ)を図案化した物のようですが なにかユワレがあるのかなー?
玄関_
正面に屏風。

脇には着物。(熨斗目(ノシメ)といわれる腰の部分に縞が入る武家の礼服。 直弼が大久保家の祖先に与えた物だそう。)

その奥には籠が。

塀の潜り戸を抜けてお庭へー。

↓表座敷。

↓床の間がありますから こちらが上の間ですね?

その先に茶室「樹露軒」。

_直弼は茶道に精通していたといいます。
正面は「居間」になります。/この左手の 四畳分程の凸っと出ている所は_何に使われていた部屋でしょうね?(因みに 御手洗、ではありません。 御手洗はこの奥手に別にありましたのでー)))

_只今 御手洗脇を通過中~

↓居間、です。


UPでー

(↑右が直弼。左が 明治に入ってこの館を所有する事になる側役(ソバヤク)の大久保小膳(コゼン)。)
↓仏間。

↓その左手_座禅の間。

(↑座禅の間には ドラマで井伊直弼を演じた俳優さんのポートレートが並んでいました。 / 因みに左から 高橋英樹(花燃ゆ) 榎本孝明(八重の桜) 中村梅雀(篤姫) 杉良太郎(徳川慶喜) 神山繁(翔ぶが如く) 尾上松緑(花の生涯)。)
ちょっと意外な部屋もありました。座禅の間の隣がー・・・

御産の間、だったのです。

(直弼は埋木舎に暮らす期間に側室として志津を持ち、志津は1846年にここで弥千代姫を産んでいるんですねー。因みに直弼32歳の時、です。)
建屋の一番西は お風呂でした。

手前が脱衣所、奥の板張りの間が浴室。 (説明板にありますが「(浴室にあるのは)木の浴槽のみでお湯は桶で運ばせた」そうです。/火の気を遠ざけた、のでしょうか?)
見学できるのは ここ まで。/ 引き返して門から退出します。

「ありがとうございましたー」
堀の向こうのお城を 直弼はどんな気持ちで眺めながら暮らしたのかなー・・・

なんて思ってきたのですが_
あの産室を見てから気持ちがちょっと変わりましたよ。「埋木舎=不遇な青春時代」ではなかったのかもしれない。明日を信じて文にも武にも精進し(大名家としてはとても)質素だけれど 健やかな家庭を築き 実は(それなりに)充実した時を送っていたのかもー。
この後は ひこにゃん に会いにお城へ~^^)