薬師寺(ヤクシジ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

唐招提寺に続いては 薬師寺へ行ってみました。

おや、お寺はまだまだずっと先(道のつきあたりが薬師寺の興楽門ですから)のはずですが 左手の寺門に「薬師寺」と書かれた提灯が_。薬師寺の塔頭かな?

あらその先にも_。・・・通れるようなので行ってみよう。


「玄奘三蔵院 伽藍(ゲンジョウサンゾウイン ガラン)」という所に出ましたー。


1991年に造られた新しい伽藍で、

中心にある玄奘塔には玄奘三蔵の遺骨が分骨奉安されているそうです。

又その奥の(写ってませんが)「大唐西域壁画殿(ダイトウサイイキヘキガデン)」には平山郁夫の絵が「絵身舎利(エシンシャリ)」として祀られているという事でした。

玄奘三蔵院伽藍 が出来て後の事でしょうか、 その南の 以前からある伽藍は 今は「白鳳伽藍」と呼ばれているようです。 (薬師寺は 680年の天武天皇の発願によって飛鳥に建てられるも 710年の平城遷都にともなってこの地に移されています。不幸にして兵火でお堂や塔を失った時代もありましたが「薬師寺式伽藍配置」という独特の伽藍配置と 白鳳時代の仏像を今日に伝えています。)

行ってみましょう。



「北受付」で

白鳳伽藍の拝観券を購入。


東僧坊(授与所にもなってます)を抜けて~

主伽藍の方へ行くと

目の前には華やかな大講堂が。

その横の鐘撞堂。

(↑大晦日の除夜の鐘は 誰でも撞くことができるそうです)

大講堂の前には金堂とー 解体修理中の東塔。(西塔は丁度金堂の陰なんですねー)

裳階(モコシ)という屋根の下に庇(ヒサシ)をつけた二階建ての金堂は 大講堂 を更に更に華やかにした感じ。

↑こちらは「出口」なので 南側へ回ります。
これが 正面から見た金堂。

金堂の左手_西には西塔(サイトウ)。昭和56年(1981年)に (1528年に兵火で焼失してい来)453年ぶり!!!に再建されたものです。創建当時の白鳳様式のカラフルな塔は 古いままの渋い東塔と比較すると 「華やかすぎ~」と言われてきましたが・・・

(↑裳階のせいで六重塔に見えますが はい 三重塔、です)
「あれから36年」(←綾小路きみまろの声で)


(↑ フェノロサが「凍れる音楽」と絶賛した 東塔の水煙によく似ています。模して作られたのかな?)
それなりに 落ち着いてきているようです。
2020年に(修復中の) 東塔が完成すると 38歳年上のお兄さんになる、予定(?)

中門から出てみます。

(↑その先に見えているのは「南門」です)
振り返って見た 中門。

仁王さんもカラフルだー。



では改めて境内に入り 金堂、大講堂と見て参りましょう。(内部は撮影禁止なので絵はありませんが)

全く古さを感じない (最近復元されたものですよ と言われても信じてしまいそうな) モダンで凛としたブロンズの仏達に驚かされました。 すごいなー 白鳳時代・・・。

<後悔>
ブログに記事を書くために受付で頂いたリーフレット見てて気づいたのですがー
私達 東回廊の外の「東院堂」を訪ねそこねてました。このお堂には国宝の聖観世音菩薩立像がありましたのにー・・・(がくり)



薬師寺を退出した後は_

(↑近鉄線の西ノ京駅へ向かっているところ)
電車で郡山(コオリヤマ)へ行きました。/つづく (予告:郡山は見所一杯の街でしたー)