比叡山延暦寺東塔(トウドウ)エリア | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

延暦寺(エンリャクジ)は 誰もが知る聖地で それゆえかえって下手に説明できない場所・・・。ですので今回ここではただ 延暦7年(788年)に最澄が開いた天台宗のお寺~ と ざっくりな文を打っておこうと思います。


(↑坂本ケーブルから延暦寺に向かって歩いているところ)
ゲートがありました。

巡拝料を納めてお山に入ります。


時に、比叡山延暦寺というのは_
こんなに広いエリアの事を言うんですね?そして今いるのはその中の中核となる総本堂「根本中堂(コンポンチュウドウ)」がある「東塔」エリア、なんだ。

(実は私 東塔エリアに来るのは四度目・・・。今回は西塔エリアへ行ってみたかったのですが、亭主が「比叡山初めて」だった上 西塔エリアまで回っている時間が無く =後略=)

えーではまず文殊楼を目指しましょう。

(↑緩やかな坂を下れば 東塔の本堂である根本中堂ですが 一旦素通りします)
(↓大黒堂前を通ってー)

(↓ちょいと石段を上った先に 文殊楼はあります。)


文殊楼は 比叡山の総門に相当。坂本から表参道を上がってきた参詣者はまずこの門から境内に入ったのですね。

(↑写真、門を横から見たこの一枚しかありません。えー?亭主よ なぜに正面から撮らなかったのー?)
二階部分には文殊菩薩像が安置されており、実際に中に入って拝む事ができます。(受験生に人気と聞きます^^)

(堂内の階段は非常に急勾配で 行きも帰りも結構難渋いたしました)
根本中堂とほぼ同時期に造られた古い物と言います。(もっとも今あるのは江戸時代に再建された物で 以前の物より小ぶりになっているそうですが)

文殊楼の東に 本尊:薬師如来とその厨子の前に「不滅の法灯」が灯る根本中堂。石段の勾配がきついのでほぼ「眼下」に見えます。

根本中堂は今年から10年かけて修復されるそうです。工事中に訪ねてしまった事を残念と思いましたがー

堂内では「これから 一年一年違う根本中堂が見られる訳でございます。どうぞ又お参り下さい」と和尚さんがお話で、なるほど~^^)なんて思いましたです。

大講堂の方へ行ってみましょう。

石の牛_。上に天満宮があるのかな?と思ったら違った。

(この牛は岡山の福田海(←「鼻ぐり塚」で有名)という宗教法人が奉納した物。福田海の開祖は明治の初期、廃仏毀釈で疲弊していた比叡山に 不滅の法灯 のための灯油を運び その功をもって法灯の分灯を許されます。福田海は感謝の印に銅製の牛の像を奉納。しかし!それは戦時中 国に供出されてしまい、これはその代わりに置かれた二代目とか。 何気に戦前の日本のあれこれを伝えてくれる牛さんだったのでしたー。)


階段の先には鐘があり、参詣者が並んでついていました。

「連打禁止」の貼り紙に苦笑ー。

さてこちらが大講堂。色々な法要が行われる場所、だそうです。

そこから少し上った所には戒壇院。

更にその先に

阿弥陀堂。

その隣に エリア名の元ともなっている東塔。

(五智如来が安置されている宝塔。最澄はここを日本鎮護の要となさるおつもりだった と言います。/今あるのは昭和55年に再興されたもの。)

かけあしでここまで来ましたが(←比喩的に) ここからは本当にかけあしで ケーブルカー乗り場に急ぎました!何しろケーブルカーは30分に一本。乗り損ねると坂本の食堂が閉まってしまいます。

うーん あれこれ心残りですが今回はここまで。

(つづく)


<♪とりびあー>
根本中堂の薬師如来前の燈火は 最澄が山を開いて以来1200年消えた事のない「不滅の法灯」と呼ばれていますが、実際には信長の焼き討ちの折にお堂が(というより全山)焼失し 物理的な意味では一度消えた そうです。が、山形の立石寺(リッシャクジ)に分灯されていたため 再建の際には立石寺の灯を延暦寺に運んだ、のですって。又「油断大敵」という言葉も 延暦寺の法灯からきている ~ という話を先だって友人トドちゃんから聞いていたので 亭主にも教えてやりました まる ^^)