吉田神社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

善正寺の少し北にある 吉田神社へ行ってみます。
(吉田山の西は急勾配の坂や階段があちこちにあって 不思議な雰囲気が漂っておりました)



(↑あれ いつのまにかかなり上ってるよ・・・)
迷いそうになったので 無難に「表参道」から回ることにしました。。。
(京大文学部の東南の角 にあたります)


時に吉田神社というのは 都の鎮護社「二十二社」の一つ。859年に中納言 藤原山蔭(ヤマカゲ)が藤原氏の氏神:春日神を 奈良の春日大社から勧請したのが始り、とか。(藤原山蔭は 卜部氏 吉田氏の先祖にあたります。又料理の神様、として崇められているのだそう)


↓手水舎。

↓吉田神社の末社_今宮社。(別名:木瓜大明神)/ 吉田町の産土神が祀られています。秋祭りの折の神輿の担ぎ手には京大生が多いそうなー。 で神輿は京大の構内もまわるんだそうなー。

(帰ってからググってて知ったのですが、この境内地には 「蒼龍」「白虎」「玄武」の霊石が置かれていたんだってー!(+「朱雀」の石は内陣にある、と言われています)ホルモーの四大学戦が思い出されます。 見てみればよかった。/ 今頃ですが『鴨川ホルモー』は 見た目的には「おばか」だったけど結構濃い内容だったのねー)

石段を上ります。

境内。(映画『鴨川ホルモー』で京大生達が裸でレナウン娘を踊っていたのはこのあたりか?)

今日は例祭の日。ナニカが行われたもよう・・・。。。

赤い柵で仕切られた向こう が「本宮」の敷地なのかしら?

拝殿。(多分)

あ、まだ神職さんが神殿前にいらっしゃる。(ので 覗き見るのは自粛 / ネットによると 春日神社と同じく四つの神殿が横並びに建っているらしい)

絵馬掛けには「京大○○学部合格祈願!」と書かれた絵馬がドッサリ。

絵馬掛けの裏には堀が。水は神域にもひきこまれているようですね?どんな造りになっているのだろうー?


山側に摂社が並んでいます。

↓摂社 神楽岡社。(神楽岡は「神々が集われる丘」の意味で 吉田山をさす呼称でもあるそうな) 神楽岡町地主の神として 吉田神社創建時にはすでに社があったという 古いお参り処のようです。

↓神楽岡社の南に並んで建つ、摂社 若宮社。御祭神は天忍雲根命(アメノオシクモネノミコト)。/本殿 第三殿の天之子八根命と第四殿の比売神の御子神で 元々は第三殿と第四殿の間に無社殿で祀られていたそうですが、南北朝の頃に社を造り、1648年に現在地にお移り頂いたようです。

若宮社へのきざはし脇には さざれ石 と 春日さんの御使いの鹿の像がありました。


境内MAPがあった。


(山の上には いい雰囲気のカフェがあるそうなんだけど、この日は月曜でオヤスミ。/いつか行ってみたいなー)

大元宮の方へ行ってみます。

坂の上に菓祖神社 (垂仁天皇に不老不死の薬を届けようと 橘の実を持ち帰った忠臣:田道間守(タヂマモリ)と、日本に饅頭の製法を伝えた中国人:林浄因(リンジョウイン)を お菓子の神様 として祀る社)がありました。(すみません お参りしてませんー)


山蔭神社(ヤマカゲジンジャ)

吉田神社を勧請した方ですね?(そして本人は料理の神様になっておられるー)

(5月8日には ここで生間流(イカマリュウ)包丁式 という儀式が行われるそうです。 見てみたいなー)

そこから もう一段上がってー

ここが 斎場所大元宮(サイジョウショ ダイゲングウ)のよう。室町時代に 吉田神社の神官だった吉田兼倶が興した 吉田神道という反本地垂迹説を唱える神道の流派の総本山ですって。

うわー すごくユニークな社。これは近くで拝見したいが・・・ 平素は中門からしか拝めない、ようです。が!

どうやら毎月一日には自由に参拝できるそうなので いつか「一日」にお訪ねしたく思います。

あ そろそろ帰る時間・・・
あとはかけあし。

大元宮の向かいにあった末社 三社社。

(吉田神社の神官職:吉田家の邸宅内にあった社を1844年に移した物だそうです。)

本宮向かいの池。/龍沢の池といい 龍が棲む と言われているそうなー。


吉田山めぐりの続きは いつか又ー。