岡崎東の「善正寺」(秀吉の同父姉:智(トモ 1534-1625 享年91歳)が、謀反の疑いをかけられ高野山で切腹させられた我が子 秀次(1568-1595 享年27歳)の菩提を弔うために建てた寺) を訪ねてみました。
(↑吉田東通り(←ややこしいことに吉田山の西、にあります)を歩いてるとこです)
↓白河総合支援学校の北隣に・・・
↓目指すお寺はありました。
↓門柱には (読みにくかったけれど)「豊臣秀次公、村雲瑞龍寺 」(葉陰になってますが更に下に 「御墓所」)と書かれています。/ 瑞龍寺は 出家し日秀尼となった智が貫首を務めたお寺。日蓮宗唯一の尼門跡寺院、ですって。 (現在 瑞龍寺は秀次ゆかりの地である 近江八幡に移されています)
坂を上ると
お堂の並ぶ境内に出ました。
手前のお堂は「本師堂」
奥の建屋が「善正寺」。元は嵯峨の亀山にあったそうですが1600年に現在地に移されています。
この「善正」という字が すごい。これは 秀次の妻子が処刑後投げ込まれた三条河原の穴の上に立てられたという「秀次悪逆塚」の「悪逆」の裏返しですよね。
智の 息子一家の無念をはらそうという強い意思が感じられます・・・
しかし、
このお寺は観光客がカメラを持ってやってくるようなお寺ではないようでー
境内には 智や 秀次とその家族についての説明板などはありませんでした。
賽銭箱もなかったので・・・ 私はコインを縁側に置きましたよ。
堂内も拝見できず ちょっと残念だったなー。
(中には御位牌等があったのかしらー?)
続いては 吉田神社の写真を貼るつもりですー (ぼちぼち)