山科の毘沙門堂 | おだわらぐらし

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

琵琶湖疎水(ビワコソスイ)に架かった安朱(アンシュ)橋を渡って尚も行くと_

毘沙門堂(ビシャモンドウ)へ上がる石段が見えてきました。

細い川(山科川の支流 安祥寺川)を渡りますが この川の水は疎水とは交わりません・・・。(なんと疎水の「下」を流れるのです。その写真は次の項で改めてー・・・)

↓時に、毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで 「門跡(モンゼキ)寺院」(←宮家の方が住職を勤める寺院) だったんですねー。(お寺のHPによると_行基による開山という古刹で 江戸時代に後西天皇の皇子:公弁法親王が入寺してから門跡寺院となっているそうなー。)

境内MAP。境内へ上がるルートは三つあるようですね。

ここから続く石段は仁王門に通じていて 一番近いけど 勾配がきついし、だいたい誰も上がってません。

周りの参拝者について・・・

真ん中の坂を上がりました。

脇の素朴な石垣は 途中に紅葉の植え込みがあります。/「そうだ京都行こう」のポスターに使われてたのはここですねー?

おや 参道の先にあったのは勅使門。(当然ながら)一般参拝者は通れません。

もひとつ西の石段を行きます。

薬医門(ヤグイモン)に架けられた 注連縄、房(シメの子)が中程でほぐされていますね。私には珍しく思えましたが 京都ではこのタイプが普通、なのかな?


門を潜って境内地に入りました。まず目に入るのは菊の紋の幕。 

(菊の中に「何か」が描かれていますが 何 でしょう?(天台宗の紋のひとつなのか はたまた公弁法親王の紋なのか・・・))



そして見事な大枝垂れ桜。

「般若桜(ハンニャザクラ)」というそうです。樹齢は約150年とか。(因みに 五代目!)

桜の向こうの建屋は宸殿(シンデン)。(門跡寺院特有のもの。普通のお寺の書院に相当。/因みにこの建屋は御所にあった後西天皇の旧殿で 皇子の公弁法親王が入寺なさる折こちらへ移したもの、だそうです。)


右手に朱塗りの柱を持つ建屋がありました。

毘沙門堂、本堂です。



本堂だけなら自由にお参りできますが 折角ですので 拝観料を納め 寺院内とお庭を見せて頂くことに。

(↑蓮の花の香炉。華やか~)
↓本堂の縁から見た前庭。/門跡寺院なので、御所に倣った 左近の桜と

右近の橘 がありました。


お坊様の説明を伺いながら 本尊の毘沙門天立像の他 狩野益信が描いた動く(?)襖絵や天井画、円山応挙の鯉の扉絵~ とユニークなお宝を沢山拝見しましたが 大変面白かった。 ( 内部は撮影不可でしたが、縁からお庭と撮るのはOKでした)

宸殿前から見た 般若桜。/お寺の方が 「もうかなりの年なんですが 今年も頑張って咲いてくれました。是非『きれいだよ』と声を掛けてやって下さい。」とおっしゃってました^^)

宸殿の北側には「晩翠園」というお庭がありました。初夏にはドウダンツツジが そして秋は紅葉が美しいそうです。(けれど この時期のお庭には 色数が少ないからこその美もありますね? 私には 池のあちらにの観音堂が 彼岸(煩悩を持つ者にはたどり着けない彼方の岸辺) に建つ物の様に思われました)

観音堂横には (写真では見にくいのですが)谷川の水を引き込んで作った滝がありました。辺りには さーさー という水音が響いていましたよ。


拝観の最後、毘沙門堂を回ってましたら お堂の北東にもお堂がありました。

お堂を出てから訪ねたら 弁天堂でした。

高台弁才天といい、元は高台寺にあったそうですが、公弁法親王が望まれこちらへ移したそうです。

弁天堂の手前には一切経蔵がありました。

そばの枝垂れ桜。濃い花色が華やか。


経蔵の向かいの鐘楼。その横にあるのは藤棚ですね? 5月には参拝者に花の色と香 そして影を提供してくれるのでしょう。


毘沙門堂の前の 仁王門から退出いたします。

(↑この提灯も「菊にナニカ」・・・)
勾配がきつく上るのはあきらめた石段ですが 下りはなんとか・・・。(といいつつ 手すりを持ちながら、でしたが)


この後は 疎水の「つづき」を歩きました。(つづく)