蛇神社+猫神社(手塚治虫旧宅周辺散策) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

先月宝塚の「手塚治虫記念館」を訪ねた折、館内で「手塚治虫 昆虫日記 の宝塚市(昭和15年頃)」というジオラマを見ました。

近くには それを二次元にした「手塚治虫の たからづか ワンダーマップ」というものもあったので 一部もらいました。(手塚さんが中学生の頃綴った 昆虫採集の記録帳が元になっているそうです。オリジナルの地名が愉快)


で今日は それをたよりに 手塚治虫が住んだ家の周辺を歩いてみました。
(↑南に大きな楠のある 土塀に囲まれた三角の敷地が 旧手塚邸 です)

JR福知山線の遮断機の北側の十字路をー

(↑正面奥は阪急の宝塚駅。右手にJR宝塚駅 があります)
右へ上がっていきます。

道なりに行くと

正面にマンション(手書きMAPでは「歌劇長屋」となっている場所) が立ちはだかる(?)三叉路に出ます。


旧手塚邸は その 一つ手前の道を右手(東)へ少し下った処、ですね。(楠の木が目印)


さて、三叉路を右手へ上がりましょう。

坂の途中には 新しい住宅が建てられようとしています。(ちょっと不思議な景観)

右手の土塀は 旧手塚邸の物でしょうかね?


坂を上りきったところで 越し方(西南西)を振り返ると、六甲山系の東の端が見えました。(中腹に見える建屋群は甲子園大学だと思われるので 正面の山は「譲葉山」でしょうね)

南の坂。(旧手塚邸は右手の区画にありました)

大劇場が見えます。/ 風向きによっては 手塚邸周辺でも大劇場の音楽がかすかに聞こえた~ そうですよ?


手塚兄弟が「瓢箪池」と呼んでいた「下ノ池」。

あらー 水が抜かれています。(多分この地域の調整池 なのでしょうね?)

池の縁に設置されていたMAP。緑の部分は 現在は公園ですが 手塚さんの少年時代は「釣り池」(正式名称は「上ノ池」)だったそうです。

ここがかつての「釣り池」。現:御殿山公園。


瓢箪池と釣り池の間の道を進むと、右手に大きな銀杏の木が見えてきます。

その下にある祠が 「蛇神社」。(記念館でもらった「ワンダーマップ」によると お金の神様として蛇神が祀られている、そうです。サイトによっては「お稲荷さん」になっています)/ 手塚さんの『モンモン山が泣いているよ』に登場するそうです。

祠の横には 先の震災で倒れた 木の鳥居がありました。

(手塚さんの少年時代には 祠の前に立てられていたのでしょうね?)

続いては「猫神社」(正式名称 千吉稲荷)へ行ってみましょう。


- - - シーン抜け - - -

いやー 迷いましたー。地図があるので 神社のある位置はわかるのですが、 家々が壁のように連なって建っていて どこに神社への参道口があるのかわからないんですよ。
↓畑の向こうに赤い鳥居が見つけられてからも なかなか近づけません。


よかった、参道が見つかりました。


連なった赤い鳥居。間違いなくお稲荷さんです。

一番手前の鳥居の額には「千吉稲荷」と書かれていますが、

実際には四つのお稲荷さんが合祀されていました。(もしかしたら 以前は千吉稲荷社 だったのが、年とともに祠の世話人が減って 一つところにまとめられた~ とかでしょうか?)

時にここは 『ワンダーマップ』には 「猫神社」と載っているのですが、 何故そんなネーミングを?(昔はここで頻繁に猫の集会が開かれていた、とかかしらー??? / わからず終い)

祠の横のプレート。/最後にこう書かれていました 「手塚治虫 昆虫採集の地。 昆虫の短い命 命の大切さを知った。」 おもわず顔がほころびました^^)

手塚さんの少年時代と_ この祠の周辺だけは そんなに変わっていないんじゃないかな? と

畑の中の道を戻りながら 思った事です。

おしまい