今 春季の庭園公開中という 建仁寺(ケンニンジ)の塔頭(タッチュウ)の一つ 正伝永源院(ショウデンエイゲンイン)を訪ねてみました。(通常は非公開の塔頭だそうです)
↓花見小路を南へ下ると 左手に 先日「都をどり」を鑑賞した祇園甲部歌舞練場があります。

↓更に行くと 建仁寺の土塀が見えてきます。

↓あ 正伝永源院への案内板が出ています。

案内に従って右へ進みましょう。

(花見通りの一筋西_ 昔ながらの通りが残っています。)

右手に正伝永源院の壁が見えてきました。入口は右ですか。

↓こちらが門。(幕に染められているのは建仁寺の寺紋と同じ「二引桐」。風で幕がそよいで五七桐の上の「二」が見えてませんけど^^;)

拝観料を納め(500円)門を潜ると、織田信長の弟で茶人の有楽斎(織田長益)とその家族のお墓がありました。(右の五重石塔が有楽斎のもの) ここは有楽斎ゆかりのお寺なんですね。

墓石の背にある壁の向こうは_まばゆい初夏の庭でした。

今回は、この鮮やかなツツジをご覧なさい とご公開下さっている訳です。

お茶も頂けるようです。折角ですので一服点てて頂きました。

「お菓子をどうぞ」_ / お菓子は 細川家の九曜紋(クヨウモン) 織田家の木瓜紋(モッコウモン)を模った落雁でした。

続いて運ばれてきたお抹茶は 天目台に載っていました。はわわ 天目茶碗ってどう扱うんでしたっけー?(貴人点も一応習いましたが 何しろ大昔の事で 頂き方すら忘れてしまっており、慌てるアタクシ。 お運びさんに教わりながら頂戴しましたです。恥ずかしや。)))

お茶を頂いた後は お寺の方(御庫裡様でしょうか)から 由来等についてお話を伺いました_。
こちらは
明治の廃仏毀釈で廃寺になった細川家の菩提寺「永源庵」に、祇園甲部歌舞練場あたりにあった織田有楽斎ゆかりの「正伝院」を移した いわば二つの源をもつお寺。
(詳しくはこちら 建仁寺HPの「正伝永源院の歴史」の頁をご覧ください ⇒ http://www.shoden-eigenin.com/history/history.html)

本堂には今も二つの塔頭の扁額が架けられています。(↑すみません 全然わかりませんね^^;)
正伝院には有楽斎が造った「如庵(ジョアン ← 有楽斎のクリスチャンネームという説も)」という茶室がありました。これは1908年に東京の三井家本邸に移され (中略)今は犬山に移築保存されています。因みに国宝です。/ 今正伝永源院の庭にあるのは 1998年に古図から起こし復元された物とか。

さて、今回私が訪ねたのは「ツツジ」の季節の公開日ですが 少し前には「桜」の公開日が設けられていました。

いつか又 桜の頃にお訪ねしてみたいものです。

織田長益(有楽斎)という武将にして茶人、面白いですね。信長の弟でありながら あっちに仕えたりこっちに仕えたりし、最後は家康から隠居料をもらって京都で亡くなっています。もうちょっと調べてみましょう。
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グーグルマップの正伝永源院の位置 間違ってるー!(誰か直してー)