ここも 聖徳太子にゆかりある場所というので訪ねてみました。
鵲森之宮から 携帯アプリのMAPを見ながら行く事数分・・・
あった ここだー

細い参道を行くと---

神社お社の横っちょに出てしまいました_ 正式な参道は本殿正面にちゃんとあったのでした。

↓改めて_
こちらが玉造稲荷神社。

垂仁天皇18年_BC12年(!)創祀、という古い古い古い神社。
御祭神は 宇迦之御魂大神(ウガノミタマノオオミカミ)、下照姫命(シタテルヒメノミコト)、雅日女命(ワカヒルメノミコト)、月読命(ツキヨミノミコト)、軻遇突智命(カグツチノミコト)。(神名の読みは神社HPにならいました)
用明天皇(←聖徳太子のお父様)の時代に改築され、 AD587年、聖徳太子ら崇仏派が物部氏を討った丁未の乱(テイビノラン)では 太子の陣地となり、乱を平定した後には観音堂が建てられた_ という伝承があるそうです。
今は稲荷神社となってますが、その昔は「比売社(ヒメノヤシロ?)」と呼ばれていたというから、、、 姫神様をお祀りする社だったのかな? いつから「比売社」から「稲荷神社」になったのでしょう?(神社HPを見てもWikiを見てもわかりません)
ご祭神は 確かに姫神が多いですね?
主祭神はお稲荷さんですから当然 宇迦之御魂大神 で女神様。
その他の神々も 下照姫命 雅日女命 と女神様。
月読命も祀られていますが_ 月読命は 男神 とする地域 女神 とする地域があるので まぁ「比売社」においででもよいかと思われます。
ただ最後の一柱の 軻遇突智命には 女神とする説はありませんから 社名が変わってから合祀された神かも?
とまれ_
大坂城ができると ここが三の丸の東に位置する事から

(↑今の地図に 昔の大坂城を重ねたもの。境内に掲示されていたものですが_これほしいわー)
城の守護の社とされ、慶長8年 秀頼が社殿・舞台を寄進したそうです。

(↑東の階段脇の秀頼の像)
↓今も境内隅に残る石の鳥居の脚には「慶長八年三月」の文字が読み取れます。

(因みにこの石の鳥居は 阪神淡路大震災の折に脚部が破損して 今のような姿になったそうです)
江戸時代に 社は「豊津稲荷神社」として再建されましたが
戦後、地域名を冠した「玉造稲荷神社」となり 現在にいたっているようです。
(なにゆえ名前が変えられたのかしら?)
境内には他地から移された稲荷社の他、 秀頼・淀の方親子を結んでいた臍の緒を祀った胞衣塚(ヨナヅカ)大明神 なるものもありました。(珍しいー)

拝殿横には↓こんなものも。

↓お伊勢参りへの起点、ですって。(ここから伊勢までXX里、の「0」点 ですね?)

人々はここで道中の安全を祈り お守りを授けて頂き そして連れだってお伊勢さんへ行ったんですねー。(歩いて、ねー)
あ そろそろお昼です。鶴橋でランチいたしましょう。(つづく)
<余談ながら_>
この間まで出雲国に住まっておった者としては_
こちらに大国主の三の姫 下照姫命が祀られているのが嬉しいですね。
下照姫はアマテラスの系統の男神と出雲で結婚なさいましたが その夫はアマテラスの側から裏切り者として殺されてしまいます。父神が国をアマテラスの子孫に譲ると 姫神は出雲を振り返りながら東へ落ちのびたという伝承が残っており おいたわしい事 と思っておりましたが_ 大阪で祀られていたとは!