22日_縁日の四天王寺 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
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四天王寺では毎月22日に「太子会(タイシエ)」として縁日が立ちます。(22日は聖徳太子の月命日)
太子会の日は、本伽藍東の番匠堂(バンショウドウ)の祠の扉も開かれ 曲尺(=指矩・サシガネ)を持つ太子の像を拝む事ができます。
又太子殿も公開され、その東の「守屋祠(モリヤノホコラ)」前へも行く事ができます。

__ という訳で、 四天王寺へ行くなら そりゃもう22日が断然お得。
ご隠居を誘って お参りに行きました。


地下鉄谷町線に乗り「四天王寺前夕陽丘」で下車。
↓地上に出たあたり。右手の大通り(谷町筋)の 一筋東を南へ行きましょう。

1ブロック先の辻を東へ曲がると 、

__霊園側から四天王寺境内へ入れます。(西南角の鳥居から入るより 近道 になります)


まずは大国堂へ。

本尊は秘仏・三面大黒天。(お寺のHPによると 一体のお像に大黒天、毘沙門天、弁才天 と三柱の福の神のお顔がある_ のだそうです!) こちらの御縁日は毎甲子(キノエネ)とか。

赤い提灯+お堂入口の幕には 二本の交差する大根の図。(「違い大根」はよく聖天さんの御印として使われますが、大黒天とも関係が?)


本伽藍北の六時礼賛堂です。

(お堂の東に撫で仏 オビンズルサンがいらっしゃいます)

本伽藍東の番匠堂。四天王寺を建てられた太子は「建築の祖」として崇められているのですね。

(月に一度しか見られない 曲尺(←L字の指矩)を持つ太子像に 初オメモジ)

聖霊院(ショウリョウイン)太子殿前殿 前_。中からは読経の声が聞こえています。

裏手にある八角のお堂(太子殿奥殿)へ回ってみます。
(↓前殿から西の本伽藍を見たところ)


前殿と奥殿は渡り廊下で結ばれていました。

この奥殿には太子49歳の姿絵が「秘仏」として納められています。

渡り廊下たもとから東を見ると 朱塗りの祠が見えました。

あれが守屋の祠に違いありません。


一度お堂を出て、改めて庭から守屋の祠へ近づいてみます。

↓これが・・・守屋の祠・・・。(物部守屋(モノノベノモリヤ)_丁未の乱で滅んだ物部氏の長。 滅ぼした側の聖徳太子が建てた四天王寺の片隅、しかもめったに人が立ち入れない場所に 彼の祠があったとは_。)因みに、祠の名は 願成就宮。(四天王寺は守屋の本拠地難波に 守屋の財産と奴隷を使って建てられました。全ては守屋の霊が鎮まってくれているお蔭 という感謝の気持ちを捧げ 祀っているのですね、、、。/ 因みに_四天王寺建立に使われた守屋の財産、は 「半分」。もう半分は蘇我馬子が手にしています。。。)

↓守屋の祠と 太子殿奥殿の 2ショット。(なんか・・・しみじみ・・・そして頭 ぐるぐる)



西の鳥居から退出。この後は梅田でお昼を と思ったのですが、ご隠居が 「この辺は カレーうどんが有名だね?」というので(←おじいちゃん いつの間にかすっかり「通」!)

前田で天ぷら載せのカレーうどんを食べて帰りましたとさ _ めでたし めでたし^^)v