こんばんは。やっぱり、オレのテーマ曲は、モップスの『たどりついたらいつも雨降り』だ!と確信した秋田俊弥です。
『受験戦争』や『共通一次』という言葉が出てきたのは、私の一個上の世代(昭和三十六年生)くらいから。
秋田家も『戦争』でした。私と父の。
『文学部行く。心理学者になりたい。』
『文学部なんか行くと就職できない。経済か法律に行きなさい。』
『岸田先生のいる○光大学に行きたい。』
『おまえは、甘い!』
今思うと、”なんとなくやりたい”という曖昧なレベルで、考えていたから、心理学者にもならず、○光大学にも行かなかった。
結果、計画性のない、目的のない、フラフラした人生を歩んでいるんだな、オレは。
四十過ぎても、親父に、
『おまえは、根気がない。』
と言われる意味が、やっと分かってきた。
『おまえ、心から、なにをしたいのだ?その理由は?それを実現するためのプロセスは?』
計画性のない息子を案じる父
痛い所をつかれ説明できないイラツキとこちらの言い分も聞いて欲しい、押し付けないで欲しい息子
噛み合わない。
しかも、私は、自分で考えていることが、よくわからないし、うまく伝えられない。
ただ、なにかやろうとすると、ダメ出しくらい、
父に言えず、
母や妹に、
『殺してやる!』と、わめき、ものを投げることしか、出来なかった。
47歳になり、初めて、気付かされた質問
『人生で一番辛い体験をした時、もし1%自分ができることかあったとしたら、なんですか?』
出てきた答えは、
『相手を許し、想いを伝える』
私の使命の
心の許し
は、高校時代に遡る。
そして、
朧げながら、社長さんにインタビューをさせて頂く中で、
『秋田さんの覚悟は?』
と試されている気がしてきた。
親父のいう通りにはなりたくないが、
『覚悟はあるのか?根拠は?』
と聞いていたのだと、三十年たって、やっとわかった。