自分振り返り 誕生から小学校 風の又三郎でした | 【相見積ゼロ】契約ゼロから売上2600万円を実現させる!ホームページライティングの秘密

【相見積ゼロ】契約ゼロから売上2600万円を実現させる!ホームページライティングの秘密

「やっぱりホームページからの契約なんてむずかしいよなぁ...」と嘆いている社長さんへ
10年間売上ゼロが2600万円を稼ぐホームページに大変身させる!「相見積ゼロ」を実現させるホームページライティング秘密を大公開。

こんにちは。息子に、『将来どんな大人になりたい?』と聞いたら、?だったので

『おとうさんみたいなひとは?』と聞いたら、『ヤダ!だって、顔にニキビが多いん

だもん』と言われ、ショックを受けている秋田俊弥です。




今日から、9月1日のブログ・リニューアルに向けて、


”なぜ、中小企業の社長さんを応援しよう!”


と想ったのか、少しずつ、自分の過去の振り返りをしたいと思います。


(と言っても、どうつながっていくのか、確かではないんですが f^_^;)




私は、1962年に札幌に生まれ、その後、父の仕事の関係で、2歳で埼玉、5歳で

鹿児島、8歳で仙台、11歳で札幌と、幼稚園2校、小学校4校、経験しています。



風の又三郎ではないですが、転校は、とてもつらかったです。

友達ができては別れ、できては別れ、根無し草のような人生です。


(正直、生まれた札幌も故郷という意識はありません)


こどもは、それでも本能で、環境には順応するすべをみにつけていて、例えば、

鹿児島にいたときは、鹿児島弁(「○○くん、がっこうに、いくがぁ~」)をしゃべり、

今度仙台にいったかた思うと、鹿児島弁をあっさり忘れて、いつのまにか仙台弁

をしゃべっているのです。



今の自分を見ていると、


”なにかいやなことがあると、さっさと過去は忘れて、今の現実に乗り換える”


、その原点が小さいころの転校体験にあったようです。



転校、転校を繰り返していると、過去を共有した気心知れた友達はいません。さらに

いつも新しい環境の中に、後れて入るというハンディキャップを克服するために、


”自分を出さず、言いたいことを言わず、人が喜ぶことを、人が求めていることを

 察知して、進んでする”


という習性がつきました。





さらに、厳格で命令調の父親の強力な影響のもと


”言いたいことを言えない!”


人間になっていきました。





一番大変だったのは、小学校6年のとき仙台市立折立小学校という田舎の学校から

札幌市立真駒内緑小学校という”都会”の小学校に転校したときの、環境のギャップ

でした。



仙台の時は、なぜか、おとなしい私でしたが生徒会長をしていました。八方美人的で

ひとに好かれてしたんでしょうね。


なおかつ、毎日、


山をかけのぼり、

草むらでコンバットごっこをして、

リトルリーグの野球の練習にあけくれて、


それはそれは楽しい日々でした。




ところが、札幌の小学校に転校したら、”学校は勉強するところだ!”という雰囲気に

それでなくても転校生で、萎縮しているのに、


”自分は(勉強できず)ダメな人間だ!

かっこ悪い!”


ということを毎日毎日すりこまされました。



だって、壁に貼ってある点数から手を上げた回数から、できるひとしかのっていないん

です。「わかる人、手を上げて!」と先生に言われて、手を上げられず、劣等感だけが

つのりました。




『勉強ができない人間は、人間ではない!』



(今日は、ここまで。明日は、中学、高校のことを振り返りたいと思います)