微妙に不調なので後で手を加えるかもですが、一応。
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「カーナちゃん♪」
「苗字で呼びなさい」
とある研究所内の、一面が白で統一された広いフロント。何時もの様に呼び掛けてくる満に、カナは何時もの様に即答で返した。彼女のジト目を余所に、満の顔に子供の様な屈託の無い笑みが浮かぶ。ちちち、と声に出しながら人差し指を左右に揺らすと、彼はその指を突き出した。
「もー、カナちゃんはカナちゃんだってばー。可愛いんだからそんなにツンツンしなーいのっ」
ぷにっ。べしっ。頬に突き立てられた指を、カナは速攻で叩き落とした。大袈裟に指を振るう満を横目に、まるで汚れを拭うかの様にハンカチで何度もその部分を擦る。ハンカチを仕舞うと、彼女はくるりと踵を返した。
「とっとと来なさい、バカ」
かつかつとヒールを鳴らしながら、フロントから繋がる白い廊下に向かって足早に歩いていく。のんびりとそれに着いて行きながら、満は赤と白のボーダー柄のシャツをぱたぱたと仰いだ。
「あ、カナちゃーん、何か冷たいもの貰えると嬉しいかなー? ほら、外すっごく暑くてさーそん中をずっと歩いてきたからさー。てか、ホントもうちょっと近いところに移動してくれるともっと助かるんだけどー」
「知らないわよ」
振り返りもせずに一蹴する。その後ろで、満はがくりと項垂れた。
「カナちゃんは冷たくなくて良いのに……まあ、カナちゃんはずっとこの中に居るから分かんないかも知んないけど! 格好からして暑そうだし!」
びしりと指差した先のカナは、黒い厚手のタートルネックに白衣と言う、凡そ夏とは思えない服装を身に付けている。小柄な体を翻すと、彼女は微笑を浮かべて満へと歩み寄った。そしてその指先を捻じ曲げる。
「あぎゃあっ!?」
「人を指で指しちゃいけないって、お母さんに教わらなかった?」
「ご、ごめんなさ……!」
長身を丸めて指先を擦る満を放置して、カナは再び歩みを進めた。突き当たりを曲がって、更に奥へと向かう。ふと、彼女は足音が続かない事に気が付いた。ちらりと後方を振り返る。満の姿は無い。深く溜息を吐くと、彼女は胸元から携帯電話を取り出した。内線番号を打ち込み、耳元に当てる。
「……ああ、忙しいところに御免なさいね。ちょっとあのバカの為に冷たいものを持って来てくれないかしら。ええ、茶でもコーヒーでも何でも良いわ。あ、あと何か菓子でも。23号室に居るから。――うん、宜しく」
携帯電話を閉じ、仕舞う。その時、遠くからぱたぱたと足音が聞こえてきた。程無くして、廊下の角から満が顔を出す。きょろきょろと辺りを見回すその瞳がカナに向けられる。ぱっと浮かんだ笑みを見詰めながら、カナは肩を竦めた。
「ごめん、ごめーんってばっ」
両手を合わせ、ぎゅっと目を瞑る。そんな満を一瞥すると、カナは足を踏み出した。遅れて、足音が続く。
「……手間の掛かる奴」
「え? 何か言ったー?」
「何でも無いわよっ」
僅かに頬を赤らめながら言う。微妙な距離を保ったまま、2人は廊下の奥へと消えた。
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「いやいやいやー、この間の記事、高めに買ってくれるところがあってさー! これで少しの間食い扶持に困る事は無くなったよー♪」
あっという間に中身が半分になったコップをテーブルに置くと、満は満面の笑みを浮かべた。持っていた鞄を開け、ひっくり返さんばかりの勢いで中を探る。再びの笑みと共に、彼はそこから1枚の領収書を取り出した。自信たっぷりの表情と共に差し出す。それを受け取ると、カナはそこに書かれた金額に目を通した。
「何度言ったか知らないけれど、そんなに困窮してるならウチに正式に参加すれば良いのに」
溜息と共に肩を竦め、金額が書かれた面を伏せてテーブルに置く。テーブルに頬を付けて伏せると、満はニヤリと笑った。
「いやいや、やっぱ俺ってば『サンプル』である前にジャーナリストだからさー」
「ロクに使って貰えない底辺記者のクセに、エラそーに」
両腕を組んで、背を反らしながら満を見下ろす。その言葉に、満は体をぷるぷると震わせ、両手で顔を覆った。しくしくしく、と呟きながら、背を丸めて俯く。
「確かにその通りだけどー、どストレートはキッツいよカナちゃーん」
「苗字で呼べって言ってるでしょ。……まあ良いわ。野垂れ死んだら回収してあげるから。検体として」
「うん、その時は宜しくね~♪」
両頬に手を当ててにへらと笑う。軽薄とも取れる満の表情を、カナは眉を寄せて見詰めた。肩を竦めて立ち上がる。部屋の端を囲うように置かれた書類棚に向かうと、彼女はそこから2つのファイルを取り出した。
「で、今回のネタなんだけれど……これも上手く掴めれば結構な食い扶持になるんじゃないかしら?」
片方を自らの手元に置き、もう片方を満に向けて差し出す。それを受け取ると、満は無言で中に綴じられている書類に目を通した。コップを取り上げ、中身を啜りながら読み進めていく。数ページ進んだところで、彼はページを捲る手を止めた。僅かに目が見開かれる。
「へー、カナちゃん達と似たような事をしてたところなのかぁ」
「表向きは新興宗教団体で、実情はそんな感じだったらしいわね。でも代表が馬鹿に交代してからは、金と欲に塗れた集団に成り下がっちゃったみたい。潰れる前にウチに移ってきた研究者も居るし」
手元の書類を手繰りながら、コーヒーを啜る。書類から顔を上げた満の目が怪しく輝いた。口の端が上に釣りあがる。それを隠す為か、彼はそれを手で覆った。
「ほほー、金と欲、か……何か『宜しくない事』もしちゃってたりしたのかなあ?」
「……どうやらその様ね。今回そこに巣食ってるのは、そこに居た『サンプル』の成れの果て。快楽の渦に落ちたゴースト、リリスだから」
満が、くるりとカナから顔を背けた。
「リリスかー、それは是非お会いしてみたいなー……ぐふふふ……あいたぁっ!?」
「真面目に聞きなさい、この変態っ!」
大きな音を立てて、満の長身が床に落ちた。硬いファイルの角がクリーンヒットした後頭部を擦りながら、ごろごろと転がる。床の辺りから聞こえてくる呻き声を余所に、カナはコーヒーを一口啜った。微かに上がった息を整える。
その目の前、テーブルの端に、満のものらしき手が置かれた。その手に力が篭る。呆れた様に眉を寄せるカナの視線の先に、後頭部に手を添えたままの満の顔がぬっと現れた。
「チョー真面目に聞いてんじゃん俺! まあカナちゃんに怒られんのは嬉しいからOKだけどさー☆」
テーブルに伏せて、だらしなく笑う。唖然とした表情でそれを見詰めると、カナは額に手を当てた。自らの手元にあるファイルを取り上げ、席を立つ。
「…………。取りあえず情報は渡したから、後は好きにしなさい」
「はーい」
片手を挙げて答えると、満は何事も無かったかの様に鞄を弄り始めた。先程領収書を探す際にぐちゃぐちゃになった中身を整え、貰った資料を入れ。棚に資料を収めて席に戻ったカナは、一口コーヒーを啜った。満の様子を見ていた瞳が、ふと何かを思い出した様に微かに見開かれる。
「あ、それと。アンタ、この間の事件であっち側の子達に姿を見られそうになったんだって?」
「あー、いや~……うん」
楽しげに作業を進めていた手が、ぴたりと止まる。ぎこちない動きで、視線が宙へと向けられた。今までとは明らかに違う歯切れの悪さに、カナはジト目を向けた。
「気を付けなさいよ。この間も他所の団体が彼等の仲間に研究所を襲われたらしいから。そんな不注意で此処を潰されるなんてゴメンだわ」
「う……キヲツケマス」
しょぼん、と肩を落としながら、満は作業を再開した。カナは、頬杖を突いてその様子を見詰めた。カナのコップからコーヒーが無くなる頃、満がふと顔を上げた。
「でもさー、カナちゃんみたいな能力持った人って向こうには居ないのかなー?」
「居るでしょ」
カナは即答した。当然と言わんばかりの声色。鞄を脇に置くと、満は彼女を真直ぐ見詰めた。
「もしそういう人に此処視られたらどうするの?」
「その時は戦うしか無いわね。……大丈夫、私達には『あの力』があるから」
そう言うと、カナは満から視線を外した。その口元に笑みが滲む。その横で、満は自らの胸をどんと叩いた。
「そうだねー。まあ、もしそうなったら俺も戦うから心配しないで!」
「……余計に不安になるのは何故かしら」
「酷ーい」
両手で顔を覆って、大袈裟に悲しんでみせる。カナは無言で目を逸らした。程無くして、がた、と物音がした。カナの視線が満へと戻る。彼は鞄のジッパーを慌てた様子で閉めると、肩紐を肩に掛けた。
「マズイ、そろそろ行かないと打ち合わせに遅れちゃう! んじゃ、カナちゃんまたね!」
「苗字で呼びなさい……って、ほら、忘れ物!」
そう呼び止めて、満に彼の携帯電話を投げてやる。満はすぐに足を止めて振り返った。投げられた携帯電話を見事にキャッチする。扉の向こう側に消える寸前、彼は満面の笑みでカナに向けて手を振った。
「あーりがとー! じゃね、バイバイカナちゃん!」
そんな声と共に、彼は乱暴に扉を閉じた。その向こう側から、続いて大きな靴音が聞こえてくる。それはやがて小さくなり、消えた。静寂に包まれた一人部屋に佇むカナは、扉を見詰めながら溜息を吐いた。
「全く……」
呆れた様に小さく呟いて、立ち上がる。そのまま、彼女は再び書類棚に歩み寄った。そこから1つファイルを取り出し、中の書類をぱらぱらと捲る。最後まで目を通すと、彼女はそれを小脇に抱えて戸口に足を向けた。かつ、かつ、とヒールが音を鳴らす。
「……その時までには、準備を終わらせておかないと、ね」
その言葉は、ヒールの音に紛れて消えた。笑みを浮かべてひとつ頷くと、彼女は部屋を出て行った。