第1稿。
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「僕が悲観的過ぎるのかな」
空が夜の帳に包まれた、夜半過ぎ。豪奢なシャンデリアによって暖色に染められた広いリビングに、恭介の呟きが響いた。雑巾を滑らせる手を止めた更科が、ふと顔を上げる。視線の先の恭介はソファに仰向けに横たわり、首だけを傾けてテレビにぼんやりとした視線を投げていた。言葉は続かない。雑巾を手にしたまま、更科は恭介の下に歩み寄った。
「何の話だ?」
「この事件で協力してくれた、銀の髪の――水月さんと言ったかな? 彼女に言われた事をずっと考えてたんだけれど」
テレビに目を遣ったまま、恭介が言葉を返す。その視線に釣られる様にして、更科は恭介からテレビへと目を移した。流れていたのはニュース番組だった。画面の向こう側に居るスーツ姿のアナウンサーが、淡々と原稿を読み上げている。その周りに表示された字幕に、更級は小さく溜息を吐いた。
『――発見された白骨化した遺体は、連絡の取れなくなっていた浦辺雅彦さんのものと断定され――』
「僕は、運命は変えられないって思ってる」
更科の視線が、恭介へと戻される。クッションを抱えると、恭介は身を捩る様にして身体をテレビの方に傾けた。
「もし運命が変えられたとしても、結局は『そう言う運命だったから』そうなったとしか思えないんだ。僕達は運命を予報する者と定義付けされているけれど、その定義だって人が勝手に決めた事だ。結局は何処かに居る神様が決めたレールの上を歩かされているだけに過ぎない」
「……ただの屁理屈だ、そんなものは」
肩を竦めて言い切る。その言葉に、恭介は一瞬目を丸くした。
「はは、やっぱりそうかな?」
「そうだ」
短く返すと、更科は元居た位置に戻った。雑巾を広げ、家具の上を滑らせる。ニュースは次の項目に移り、やがてアナウンサーの一礼によって終わりを告げた。短いCMが明けると、名も分からないタレントが多く出演するバラエティ番組が始まった。特に表情を動かすでもなく、恭介はただそれをじっと眺めている。それを横目に、更科は作業を進めた。
雑巾を布巾に持ち替え、黒のダイニングテーブルを拭く。作業を終えて離れようとしたその時、恭介が口を開いた。
「君は、能力者になって良かったと思うかい?」
更科は手を止め、テーブルに手を突いて恭介を見詰めた。
「良いかどうかは置いておくとして、今此処で生きてるのが蟲のせいなのは確実だな」
「そうだね。蟲達の力が無ければ、君の命はあの時絶たれていた」
恭介の表情に笑みが戻る。何処か懐かしむ様な口調。更科は微かに眉を寄せた。
「……お前はどうなんだ」
「見たくも無いものが見えちゃうし、お陰で外に出られなくて変な事を言われちゃうのが困っちゃうね。でも、代わりに皆から面白いお話を聞かせて貰えるから、其処は良いのかも知れない。それに――」
首を回して、笑みで細めた猫の様な瞳を更科に向ける。
「この能力があったお陰で、君と言う大事な存在を救う事が出来たんだ。……とでも言えば満足してくれるかな?」
再びテレビへと向けられた口元から、くすくすと小さな笑い声が漏れた。呆れた様に眉を寄せると、更科は肩を竦めた。
「少なくとも、『運命だから』と最初から諦めるのは逃げでしかないだろう。全ての手段を尽くした後に言うならまだしも」
「何事も頑張って努力すれば、叶える事が出来るのかな?」
急に声がくぐもった。更科が視線を向けると、恭介は身体を丸め、顔を埋める様にしてクッションを抱えていた。その表情からは笑みが消え、見開かれた瞳はクッションの一点を見詰めている。白く華奢な手が、クッションを掻く様に掴んだ。
「努力すれば、僕もゴーストを恐れる事無く生きていけるのかな? どうやったらそうなれるのか、僕には皆目見当がつかないけれど。それとも、この能力を完全に消す方法も、頑張って探したら見つかるのかな?」
「知るか。さっきも言っただろ、そういう事は何もかもやり尽くしてから言え」
「……そうだね」
ひとつ溜息を吐くと、更科は雑巾と掃除道具を手にリビングを出て行った。首だけを起こしてその後姿を見送った恭介は、苦笑に似た笑みを浮かべると其処から目を逸らした。
「頑張って努力すれば、か。……君のご主人様はどうだったんだろう?」
上半身を起こし、枕元に置かれていた1体のアンティークドールをそっと持ち上げる。首元に金のリボンを身に着けたそれの栗色の髪に細い指を通しながら、澄んだ翡翠の瞳を見詰めた。
「全く、難しいものだよね、この世の中は」
足元に転がっていたリモコンを拾い上げ、テレビとシャンデリアの電源を落とす。窓から差し込む光を頼りに、恭介はアンティークドールを優しく抱えて窓際へと向かった。ガラス戸を背にしてきちんと腰掛けさせ、服や手足を整え、髪を撫でてやる。月明かりに照らされて美しく佇む姿に満足げに微笑むと、彼は静かにその場を立ち去った。