前回の記事の続きです。
という記事をリブログさせていただいて考えたことを書きました。
仕事を通して色んな年代の方と会ってお話を聴く機会があるのですが、最近すごく感じるのが、今の若い人はとても真面目で礼儀正しい方が多いということです。
その分、周りに気を遣い、社会生活に疲れて心を病んでしまっている人も多いのではと思います。
高齢者を対象とする職場(内科病棟、内科クリニック、老人ホーム、デイサービスetc.)では、自分勝手な振る舞いや、理不尽な要求をしてくる方に多く出会いましたが「病気がそうさせているんだ」「不自由なことがあるから心も荒んでいるんだ」と思いながら働いてきました。
でも、コロナ禍に入りワクチン集団接種会場で働くようになってから、高齢者対象の期間と若年者対象の期間とに分かれてそれぞれの年代の方と接していると、病気は関係なく明らかに高齢者の方が傍若無人な振る舞いをされ対応に困る場面が多かったのです。
それに慣れてしまったので、若い方の礼儀の正しさに驚いたくらいです。
また、若い方が心を病んで相談に来られる場面も経験しました。
「しんどいな」と感じてもしばらくはひとりで我慢をしていて、相談に来られる時にはもう既に限界がきています。
それでもまだ薬を飲みながらなんとか現状を乗り切れないか、と薬の処方を希望されるのですが、それは一時的な対症療法であって、根本的な解決、心の健康を取り戻すことには繋がらないのですよね…。
身体の不調で言うと、頭が痛くても風邪気味でも「仕事を休めない」となると、痛み止めや風邪薬を飲んで症状を抑えて働いたりしますが、帰ったら症状が悪くなっているということがあります。
体調が悪いのに薬で騙し騙ししながら身体を酷使しているからです。
そんな時はゆっくりと休んで、しっかり回復させるしかないのですよね。
わかっていても、現実的に追い込まれていて、倒れるまで止まれないという判断しかできなくなってしまうのだと思います。
そんな時、専門家の方が言われているのは
「薬を飲んだだけでは根本的には治らないから、これはもうしっかりと休むしかないですよ」
「一時的に良くなったと思って復帰してもまたしんどくなるから、焦らずに半年くらいはゆっくり休みましょう」
「今はしんどくて正常な判断ができない状態だから、まずはしっかり休んで元気になってからこれからのことを考えましょう」
「相談できる人はいますか?(ご家族、恋人、友人、上司、同僚、産業医etc.)」
と、とにかく「休むことが一番重要」ということです。
心の病というのは、身体の病のように血液検査やレントゲンなどの目に見える数値や画像で客観的に診断できるものではないので、自分でも気づかない内に悪くなっていることがあると思います。
でもこうやって誰かに話してアドバイスをもらうことで
「やっぱり私は疲れているんだ」
「自分の気のせいなんかじゃなかったんだ」
「休まないと治らない、ドクターストップなんだ」
とホッとできるかもしれません。
診断書を書いてもらうと更に「これで堂々と休める」と安心できる人もいるのではないでしょうか。
精神科や心療内科という場所は、入りにくいイメージを持たれている人も多いかもしれませんが、現代社会の生きづらさを象徴するかのように、診療所も患者さんも増えています。
気軽に、というと語弊がありますが、最悪の選択をする前にまずは専門機関の扉を開けてみてはと思います。
仕事に行く時電車に飛び込みそうになったら…とりあえず次の電車に乗って、職場には向かわず心療内科に行ってみる。
私はさっき死んだんだ、と思い込んで。
死んだ気になったらなんだってできる。
職場にも連絡しなくていい。
本当だったら死んでるんだから。
次の日も行かなくていい。
「さっき死のうとしてたのを思いとどまってここに来た」と話せばそれはもう緊急事態、先生は診断書を書いてくれるはずなので、それを職場に送ってしばらくゆっくり休むのです。
お金のことも心配だと思いますが、まずは命を守って、休んで、心も身体も元気を取り戻して。
元気になれば、もう無理だと思っていたことも大したことなく思えてくるかもしれません。
とにかく誰が何と言おうと、自分が
「疲れている」
「しんどい」
「もう限界」
「休みたい」
と感じればそれが正しいのです。
だから別に診断書なんかなくても休んでいいし、休まないといけないのだと、私は思っています。
自分自身にもそう言い聞かせています。
長い休みが明けます。
どうか、夏休みの思い出をにぎやかに語り合いながら、それぞれの日常をゆっくりと自分のペースで過ごしていけますように。
生きづらい世の中にも、その人にとっての楽しみを見つけて歳を重ねられますように。
長くなりましたが、読んでくださりありがとうございました。
いつも共感してクスクス笑っています